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日本ロシア文学会大賞 2014年度 受賞のことば


2014年度日本ロシア文学会大賞
井桁 貞義 氏

略歴と業績(PDF)
受賞理由
第1回日本ロシア文学会大賞受賞者井桁貞義氏の功績は大きく次の5点にまとめることができる。
 1研究生活の最初期から現在にいたるまで一貫してドストエフスキー研究に力をそそぎ、大きな成果を挙げた。バフチンのドストエフスキー論形成について論じ、1988年の第10回国際スラヴィスト会議日本代表報告集に掲載された論文 “Иванов --- Пумпянский --- Бахтин” は、その後もポーランドやロシアにおいて専門誌に再掲され、あるいは先年完結した『バフチン著作集』の第2巻(2000年)の注でも引用されるなど、海外でも高い評価を受けている。
 21980年代末から1990年代初めにかけてのペレストロイカ、ソ連邦崩壊の時期に、新しいロシア文化についての情報を網羅的に収集し、文化情報紙『ノーメル』1 (1988) - 67(1994) を発行してその紹介に努めた。ロシア語インターネットの世界にいち早く関心を示し、紹介を続けたことも重要な功績である。
 3日本において最初期にハルムスを紹介するなど、現代のロシア文学の紹介にも努めた。
 4『コンサイス露和辞典』『コンサイス和露辞典』の改訂編纂、またとくにその電子辞書化によって、一般のロシア語学習者、また学生の学習環境を整えた。
 5早稲田大学における授業で、ロシア文学専門の学生だけでなく、一般学生を対象に大教室で講義を続け、多くの若者に文学の楽しさを伝えた。 
いずれのひとつをとっても、ロシア語ロシア文学の研究の発展にとって重要な貢献であり、同時にその成果を一般社会に還元することにおいて、きわめて大きな働きであった。井桁氏は現在も日本文学におけるドストエフスキーの受容の研究や、露和辞典、和露辞典の改訂などの仕事に精力的に取り組んでおり、年齢を問わず現役で活動している会員を顕彰して将来の励みとするという本賞の趣旨にふさわしいと判断される。この理由により、大賞選考委員会は、井桁貞義氏を日本ロシア文学会大賞の受賞者に選んだ。
受賞のことば
学会大賞選考委員会によって示された「受賞の理由」のうち、ある意味で一番嬉しかったのは5番目に挙げられていたことである。

「早稲田大学における授業で、ロシア文学専門の学生だけでなく、一般学生を対象に大教室で講義を続け、多くの若者に文学の楽しさを伝えた。」

授業には心血を注いだ。「ロシア文学と現代」では、露文生を含めて文学部から約300名、その他、法学部や政治経済学部、遠く所沢の人間科学部からも合せて約100名、ほぼ毎年400名の大教室が埋まった。

ロシア文学の授業の進め方にも各大学で様々な試みが行われていると思うが、お互いにシラバスを見せ合うといったことは盛んではなかった。私が試行錯誤の結果辿り着いたやり方をこの機会に書き残して若い先生方の教案のアイディアのもととなればと思う。「全学オープン科目」に指定されているかなど、条件はいろいろだろうけれど、アイディアのきっかけになればと思う。
「演習」の授業に人が集まらないという悩みを抱えた新学部の若い先生お二人に頼まれて、別々の機会に、定員40人のところ110人が希望してくる演習となっていた私の演習の進め方を伝え、その後はうまく進んでいるという。
「ロシア文学と現代」は前期、後期の2期制であり、後期からとって、次年度の前期に続けてもよい。

たとえば2007年度前期のシラバスには次のように書いた。

「現代からドストエフスキイ『罪と罰』までさかのぼる
本講義は全学部の学生に向けたものです。
ノルシュテイン監督の『話の話』やペトロフ監督の『老人と海』など、ロシアのアニメーションは世界の注目を集めています。この講義はそうした現代ロシア文化から時代をさかのぼり、19世紀後半のドストエフスキイ作『罪と罰』まで進みます。
現代日本に生きる若者にとってロシア文学・文化は未知の領域でしょう。わずかにアニメーション『チェブラーシカ』やSF映画『不思議惑星キン・ザ・ザ』を知っているかもしれません。授業はロシアについて「ゼロの読者」を受講者として想定し、毎回の授業をロシア文化の最高の成果、豊かさに触れるカルチャーショックの機会としていきます。また来日するロシアの文化人の講演を取り入れる可能性もあります。」

ここで考えているのは、次のようなことである。
第1に、ロシア文学史を古代から編年体でやってはいけない、ということである。出来上がった「歴史」を学ぶことほど退屈なものはない。現代の、高校時代までに親しんできた文化ジャンルに接続するものとしてロシア文化を提示すること。
第2に、視聴覚資料を多用し、やがて「文字だけの」文学作品の世界の豊かさにふれるようにする。
第3に、他の学問領域にも応用可能な方法論を開示する。

第1回目の授業ではおおよそ次のようなプログラムを提示する。

1.プリセツカヤのバレエ「瀕死の白鳥」、ノルシュテイン監督『話の話』ペトロフ監督『老人と海』からロシア文化、ロシア・アニメーションの歴史を追う。
2.ペレストロイカの時代にロックやジャズはどのような役割を果たしたのか?
3.ヴィソツキイのタガンカ劇場『ハムレット』上演、ユーゴザーパド劇場のロック・ハムレットを鑑賞しながら、サーハロフ、パステルナークに関連し、全体主義に抵抗するとはどのようなことであったかを考える。
4.社会主義のなか光明、盲ろう学校の「見える・聞こえる」
5.ロシア革命と映画、文学、アヴァンギャルド、「異化」
6.チェーホフ作『かもめ』をハムレット劇として読み、生きることへのメッセージを取り出す。
7.トルストイの初期から『アンナ・カレーニナ』における「内的独白」手法
8.ドストエフスキイ作『罪と罰』への文学研究の諸流派「文化歴史学派」「神話学派」「比較文学派」「構造主義」「バフチン学派」「イメジャリ研究」などを紹介する。
9.『罪と罰』に埋め込まれたキリスト教のイメージ、シンボルを知る。
10.『罪と罰』の日本文学に与えた影響を知る。

さらに1回目に手渡すプログラムには次のような「レビューシート」への呼び掛けが書かれている。

「出席カードの裏面を利用して感想や質問を書いてもらうレビューシート方式を採用しています。このうち優れたものや重要な問題提起を含んでいるもの、共通の質問事項などを次回にコピーし、配付して、コミュニケーションの中で授業を進めます。教室は複数の主体が出会う場ですので、積極的に参加してください。(レビューシートの内容は匿名でシンポジウムや報告書などで紹介されることがあります。)」

授業は学生たちが自分の言葉を獲得し、同時に同じ授業を聞き、映像資料を一緒に見たクラスメートが、どれほど多様な事柄を考えていたかを学ぶ場となる。「異化」や「内的独白」という手法を学んだ時間は最後に実際に書いてみる。
「レビューシート」を使って『罪と罰』の授業をどのように進めたかは、「2006年の『罪と罰』」(『21世紀ドストエフスキーがやってくる』集英社、2007年)にかなり詳しく記録している。
できるだけたくさんの意見をコピーしたいので紙を大きくすることはできない。出席票の裏ではスペースがだんだん狭くなって字が豆粒のように細かくなっていく。一心に書いていると教室にはもう数人しか残っておらずに焦る、ということもよくある。授業の終わりに近くなると学生たちは書き始める。「あ、ちょうど書いていることを今先生が言った」などということもある。必要な場合はレビューシートに応答を書き込んでコピーする。「前回の○○番さんへ」といった学生同士の対話も始まる。氏名はオモテ面なので匿名制度の表現ジャンルであり、「レビューシートが読みたいから出席しています」というように読者が確実に見込める場である。

後期のシラバスは前期を受けた形で書いた。

「ドストエフスキイ『白痴』からロシア正教へとさかのぼる
本講義は全学部の学生に向けたものです。
村上龍『愛と幻想のファシズム』や村上春樹『羊をめぐる冒険』、柳美里『ゴールドラッシュ』などを読み解くうえでドストエフスキイ作『罪と罰』は有効です。あるいは江戸川乱歩『心理試験』やテレビ映画『刑事コロンボ』にいたるまで『罪と罰』は影響を投げかけています。明治時代の『破戒』に始まり、第二次大戦後の太宰治『人間失格』や大岡昇平『野火』から、現代の平野啓一郎『決壊』なども視野に入れる時、ドストエフスキイの文学はなぜこれほど日本の読者の想像力をとらえて離さないのか、という問いが浮かぶでしょう。暴力の時代である現代に、新たな宗教性は可能なのでしょうか? 黒澤明監督の『白痴』を見ていきましょう。
授業ではまたチャイコフスキイやショスタコーヴィチのオペラなど、ロシアの文化・文学を広く現代の視点から読み解き、その意義を考えていきます。授業はロシアについて「ゼロの読者」を受講者として想定し、毎回の授業をロシア文化の最高の成果、豊かさに触れるカルチャーショックの機会としていきます。」

後期第1回目の授業ではおおよそ次のようなプログラムを提示する。

1.ゴーゴリ『魔女伝説ヴィー』に現れるシンボルと、主人公の敗北という事態に対してウラジーミル・プロップ『昔話の形態学』から物語の構造分析を、またノースロップ・フライの『批評の解剖』から主人公の分類を紹介する。
2.ゴーゴリ『鼻』のショスタコーヴィチ作オペラ(部分)を聴く。
3.ゴーゴリ『外套』のノルシュテイン作アニメを観る。
4.ドストエフスキイ『白痴』を黒澤明監督版で鑑賞し、氷上のカーニバルからミハイル・バフチンの『ドストエフスキイの詩学』のカーニバル論を紹介。原作のロシア正教的モチーフの日本文化への改変の意味を問う。
5.現代の『白痴』はどう描かれるか。遠藤周作の『深い河』を知る
6.プーシキン『オネーギン』のチャイコフスキイ作オペラを知り、ロシア19世紀文学の解読を試みる。
7.プーシキン『スペードの女王』の秘密のカードを読み解く。また『罪と罰』の人物構成と比較する。
8.ロシア正教を学ぶ9.イコンの美と山下りん。日本とロシアの文化的接触について考える。

この教案では、前期と後期のどちらでもドストエフスキイを語ることができる。
しかし、この順番だと、未知のジャンルとしてのオペラについてチャイコフスキイよりも先にショスタコーヴィチに触れることになってしまう。(ショスタコーヴィチへの反応は年を追って良くなった。)
後期にもレビューシートを用いるが、『オネーギン』の前半で授業時間が終わると女子学生たちから「オネーギン、やな奴」とのブーイングを浴びることになる。
文学への入り口としてアニメ、映画、オペラ、美術と、ジャンル横断的に文化、文学の世界にアプローチする。そのうちに「自分史上画期的なことですが、文庫を読み終えました」とのレビューシートも出てくる。

「レビューシート」方式はその後、そういう名前の用紙も作られ、早稲田大学文学部、文化構想学部に広く取り入れられることになったが、教員が参照するだけで学生に還元しないケースも多い。「選んでコピーを始めたが、大変なので止めました」と言ってくる先生もいる。時間がない時に教授会を聞きながら読んでいると「井桁さんはそれを読んでいる時がいちばん幸せそうだね」と言われたりした。対話的に交わる時が幸福であった。最後の回にこの方式はバフチンの「対話」概念からヒントを得ている、と言うと「えっ」と反応する学生も出てくる。

早稲田のような学生数の多い大学では、学生自身が作る全学統一の分厚い科目登録のためのマニュアルが存在する。2008年度のためのマニュアルの「第一文学部」、「面白い授業」のナンバーワンには「ロシア文学と現代」が挙げられており、109ポイントなのだという。2位が日本語関係の授業の45ポイント、3位が心理学などの授業の37ポイントであった。
説明にはこう書かれている。
「ロシア文学と現代が他に大きく差をつけ1位に返り咲いた。映画、アニメ等を鑑賞し、その素晴らしさに時に感涙してしまう受講者も出るほど。」

2007年度の最後のレビューシートに次のように書いた受講生もいる。
「私の勝手な解釈ですが、この授業の年間のテーマは『愛』と『生』と『美』だった気がします。」
年度初めに見せたプリセツカヤさんの「瀕死の白鳥」を最後にもう一度見せ、そのカーテンコールの拍手に合わせてロシア文学、ロシア文化の達成に拍手をして授業は終わる。最初に見た4月と感性はかわったかな、と尋ねると、最初はただ茫然と見つめるだけだったが、今はその文化的背景が浮かぶ、として、涙を流して最後のレビューシートを終える女子学生も何人かおり、「授業で感動してしまってよいのでしょうか」と書いてくる。
出席率の異常に高い授業で「人数が減りませんね。教室の空気が薄くて苦しいです」と学生たちは笑う。

授業が始まってから数回してからこの授業の目的を言うことにしていた。
第1に、広い意味で文化の新たな担い手を育てること。
第2に、文化の、優れた読み手を育てること。
第3に、苦しい人生に耐えて生きるために有用な文化はどこに行けば出会えるかを知ること。

授業と自分の執筆に引き裂かれる日々であった。学期中は授業の準備に追われ、「自分の」執筆予定が休暇前にはホワイトボードを埋め尽くした。
授業を離れて考えると、やり残していることはいくつかある。まず図書のことだ。

1980年の最初の留学の時、当時のレーニン図書館でコピー依頼の列に並んで順番を待っていると街に出て生きたロシア語に触れたいと思う。引き裂かれている私を見て、フランスからの留学生が「日本人はなぜコピーの列で時間を空費するのか。私たちのところには必要な文献は揃っている」と言っていた。この時、今後は帰国したら持ち帰った資料をみんながどこか1か所に集めて共用財産として管理していくシステムを提案しよう、と思ったが、言い出すチャンスがなく過ごしてしまった。空間と資金の問題である。

またロシアでせっかくロシア語での研究上の議論が身に付いたのに、帰国後はロシアの方々との知的サロンが作れなかった。日本人は聖書の知識がなくてもドストエフスキイに惹かれた。それはなぜか? 日本文化とロシア文化のメンタリティ比較のレベルの出会いが不十分である。またこれから将来を見据えて、バイレイシャル(いわゆるハーフやクオーター)の子どもたちが、日本でロシア文化に触れることのできるサロンも立ち上げてみてはどうか。

研究上のことでは、正教、キリスト教、聖書学の知識がまだ不足したままだ。最初の留学の時、当時のレーニン図書館の稀覯本管理部でドストエフスキイの聖書を手に取った時の感動は忘れられない。閲覧者カードには尊敬する研究者たちのサインがあったが、日本人研究者は誰ひとりいなかった。ドストエフスキイに限らず、ロシア語のテキストを翻訳するにあたっては、聖書の知識の欠落は致命的であり、アカデミズムの担うべき重要な課題である。今後はこの問題から改めて手をつけていきたい。

ロシア文学、ロシア文化は懐が深い。そして提示のくふうによって現代日本の若者の感性と思考に訴えかける力を十分に備えている。
 
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関東支部報 第40号(2022年)
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関西支部報 2020/2021 (No.2)
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