討議内容 シンポジウム第1部「チェーホフと世界」


写真:第1部のパネリストたち

写真:第1部のパネリストたち

パネリスト
キム・テフン(韓国・地球演劇研究所俳優)
岩松了(劇作家・演出家・俳優)  浦雅春(ロシア演劇、東京大学)
多和田葉子(作家)
司会
楯岡求美(神戸大学・ロシア演劇)


写真:司会 楯岡求美氏

写真:司会 楯岡求美氏

楯岡 そうしましたら、早速シンポジウムを始めさせていただきたいと思います。第1部の司会を務めさせていただきます神戸大学の楯岡と申します。よろしくお願いいたします。本日のシンポジウムは2部構成となっています。第1部は「チェーホフと世界」、第2部は「チェーホフと現代」と題しておこないます。世紀を超えて、国境を越えてなぜ私たちはこれ程までにチェーホフに魅了されているのか、今日がチェーホフに作品に秘められた可能性について改めて考える機会となってくれたらと思っております。 ではこれから第1部「チェーホフと世界」と題して始めたいと思います。

 最初に簡単にこのセッションの意図、どういう問題意識があるのかについてお話したいと思います。

 チェーホフの作品や登場人物というのは、ある意味、非常にロシア的な設定になっています。つまりあくまでチェーホフがその作品を書いた20世紀初頭のロシアという場においての、特徴的な題材や問題に基づいて書かれた劇作品です。にもかかわらず、100年という時間を超え、なぜいまだに、しかもロシアだけでなく、世界中で上演されているのか、というのがこの私たちのセッションの関心の中心にあります。

 たとえば、もちろん皆さんご存知のとおり、日本でもチェーホフの作品というのは、ただの普通の海外作品とは違って、新劇のレパートリーの中でも古典作品として扱われて、頻繁に上演されているわけです。

 ただし今日は、チェーホフと世界ということを考える上で、大上段に構えて論じるのではなく、ここにお集まりいただいたパネリストの方々がさまざまな地域でいろいろな立場で活躍されていますので、それぞれの方がチェーホフのどんなところに魅力を感じてらっしゃるのか、ということを率直に語っていただこうと思います。それがそのままチェーホフの現代における魅力の発見になるのではないかと考えるからです。

 ではここでパネリスト方々をご紹介させていただきたいと思います。詳しくはチラシ等に載っていますので、細かなデータなどはそちらをご覧ください。

 まずキム・テフンさんですが、韓国の劇団「地球演劇研究所」の俳優で、モスクワのマールイ劇場付属のシェプキン演劇学校に留学され、その後続けてロシア国立演劇アカデミーに留学されました。昨日までこのアートスフィア劇場で、すばらしい『ワーニャ伯父さん』の主役を演じていらっしゃいました。

 それから岩松了さんです。舞台に映画にと活躍されている劇作家で、演出や監督もされますし、自ら出演もされます。実は東京外国語大学でロシア語を学ばれたというご経験がおありで、『かもめ』などのチェーホフ作品をロシア語から翻訳上演するということも試みていらっしゃいます。今日は『三人姉妹』を下敷きに創作された『「三人姉妹」を追放されしトゥーゼンバフの物語』というご自身のユニークな作品についてもお話をうかがえると思います。

 それから浦雅春さんです。ロシア文化の研究者でチェーホフやロシア・アバンギャルドがご専門で、東京大学でロシア文化を教えていらっしゃいます。チェーホフ劇を「ヴォードヴィル」であるとか「父の不在」といったキーワードを使って、ユニークに解き明かしていらっしゃる方です。

 最後になりましたが、作家の多和田葉子さんです。ドイツ在住で、ドイツ語と日本語の両方で創作していらっしゃいます。やはりドイツ在住のジャズピアニスト高瀬アキさんと『ピアノのかもめ / 声のかもめ』というパフォーマンスの公演を続けていらっしゃいます。

 今日はこのセッション関して韓国語・日本語の通訳を金さん、李さんにお願いしています。よろしくお願いいたします。

 それからキム・テフンさん、岩松さん、多和田さんの舞台の映像がありますので、後ほど、時間の制限がございますので数分ずつですが、ご紹介したいと思います。

 では順番に15分ずつくらいそれぞれの方からお話いただいて、その後時間が許す限り、ディスカッションをしたいと思っておりますので、よろしくお願いしたします。

 ではまずキムさん、お願いいたします。



写真:キムテフン氏(中央)


キム こんにちは。今、紹介していただいたキム・テフンと申します。私は昨日までこちらの劇場におきまして「ワーニャ伯父さん」を公演いたしました。韓国では演出家として、また俳優として活動しております。また韓国のセジョン(世宗)大学というところで演劇を教えております。何よりも今日この場でチェーホフについて語ることになったことを、とても光栄に、とても嬉しく思っております。

 今年はチェーホフの没後100年ということで、世界各地でチェーホフに関する研究会やシンポジウムなどがおこなわれると聞いております。韓国でも今年のようにチェーホフの作品が上演されたことはありませんでした。日本でもまたいろいろなフェスティヴァルが開かれたり、このような学術的なシンポジウムがおこなわれたりしており、天国にいるチェーホフがとても喜んでいることと思います。

 私が第1番目のパネリストなのでどうやって話を始めればいいのかと、とても緊張して、漠然としております。私は紹介されましたとおり、ロシアで演劇の勉強をしたのですが、専門的に、学術的にチェーホフのことを勉強したわけではありません。でもチェーホフを現代においてどうやって公演して、どうやって観客に伝えるかということは私の最大のテーマでした。

 昨日、公演をしたので、昨日ご覧になった日本の観客がどう感じたのかということをとても知りたいと思っていますが、ここでは、韓国の地球演劇研究所でなぜ今でもチェーホフを公演しているか、ということを私の立場からお話したいと思います。

 まず100年前のチェーホフのことです。私はロシアで7年間、演劇を勉強したのですが、今年の7月にもまたモスクワに行ってきました。そしてメリホヴォというチェーホフの別荘にも行ってきました。そこでチェーホフはサハリンに発つまで暮らし、『かもめ』を執筆しました。そこには小さな池と『かもめ』を書いた小さな家があります。私はその池のほとりに座って、長いこと考えこみました。その場でチェーホフが100年後、200年後の人々の生活を、人生を考えたということが感じられました。韓国で、日本で、また世界各国でチェーホフが公演されているのは、チェーホフが人間の人生について悩んだためだと思います。

 私がまず最初に考える彼の魅力は、アイロニーです。チェーホフ自ら自分の作品をコメディーと呼びました。チェーホフの芝居をした人には、チェーホフのコメディーというものがどんなに悩ましいものかということがよく分かると思います。作品を観たり読んだりする場合はとても悲しいのですけど、なぜ作家は自らコメディーと名づけたのでしょうか。    

 私の意見を申しますと、それはアイロニーと不条理によるものだと思います。

 現代において不条理というものは日常によく現れるものです。ひとりの人間においても頭と心が別々に動いて、各自、別のものを望んだりするということを感じることがあると思います。チェーホフの作品の中でもこういうことがよくみられると思います。『ワーニャ伯父さん』の作品の場合においても、4幕でワーニャはこれからどうすればよいのだろうかと悩んではおりますが、アーストロフはそれを全然理解しておりません。2幕でエレーナは自分が単なる端役の俳優にすぎないと悲しんでおりますが、ソーニャは幸せに浸っております。

 チェーホフの作品において、このように一つの場面で登場人物がそれぞれ他のことを考えており、不条理の作品となっています。

 私にはこの世で一番愛していた母がおりました。母に不慮の事故がおき、私はこの世は全て終わってしまったと思いました。私は約3日間、何も食べずに悲しみに浸っておりました。もうこの世は終わってしまったと思っていたのですが、私のお腹の中から空腹を知らせる音がしました。私は私の体と私の考えがとても不条理だと思いました。

 もっと広い例で考えてみます。アリがクッキーのカケラを目指して歩いています。しかし、アリが歩いている道はもうすぐ崖に落ちてしまう道です。アリはその事実を知りません。それを見ている人間はそれをとても不条理だと思います。これの一番典型的な人物が『桜の園』のガーエフ、『かもめ』のアルカージナのような人物だと思います。

 このような不条理さはチェーホフが生きていた時代よりも、今現在において日常的におきていることであり、人類の文明がより発達する未来においては、もっと急激に現れることだと思います。悲しみと嬉しさとはそれはそれぞれ違うものではなく、一つの空間において同時に起きるものです。私もそうですし、皆さんもそうです、いつも日常で遭遇することです。チェーホフのアイロニーはこのような境界をなくしました。

 2つ目の魅力はチェーホフの時代性です。チェーホフは自分の作品について、汽車に喩えてこう説明しています。汽車は前の停車駅から今、私が待っている駅へ走ってきています。そして私がいる駅にちょっと止まってからは、また次の駅に走っていきます。重要なのは、私がこの汽車に乗るか、それともそこから学び取るだけなのか、またはその汽車に乗っていた人がこの駅で降りるのか、それを自ら把握することです。

 私が見送りをしないといけないのにその汽車に乗ったり、乗ることになっているのに残ってしまったりするとき、人間の悲劇、悲しみが生じます。例えば『かもめ』のアルカージナ、『桜の園』のガーエフとラネーフスカヤもこの駅で降りなくてはいけない人で、この駅で乗らなくはいけない人は『桜の園』のロパーヒンです。しかし、ガーエフ、ラネーフスカヤ、アルカージナはこの駅で降りなくてはいけないことを知らないために悲しみ、悲劇が起こるのです。

 汽車は時代であり、歴史です。人間自ら自分は、自分の人生においてどういうところにいるのか、歴史において自分はどういう位置を占めているのか、それを知るようすること、それがチェーホフの時代性であると思います。

 3つ目の魅力と申しますと、それは孤独です。私は今回のフェスティヴァルに参加するために、6月にこちらを訪ねております。日本の訪問は初めてだったのですが、私はとても生々しい経験をしました。夕方、地下鉄に乗ったのですが、日本の地下鉄が韓国の夕方の地下鉄の様子と全く同じだったので、ここが本当に外国なのかと思うほど戸惑いました。今、前にいらっしゃる皆さんと私、あまり変わりがありません。地下鉄の中でも私は外国人であることを忘れました。でも私は日本語を知りませんから、隣に座っている人が何を話しているのか、全く分かりませんでした。私は私の頭の中で、自分のことだけを考えていました。その瞬間、私がとても孤独であることを感じました。それは単に言葉が分からないためのことではないと思います。言葉が分かったとしても、同じことだと思います。

 今日の現代社会では文明、技術が発達しました。お互いの意思を伝えるための道具はたくさんでてきました。たとえばインターネットやテレビジョンのように、全世界の人類が自分の意思を伝えるための道具はたくさんあります。でもそういったものが発達すればするほど、私という人間一人、個人が感じる交流の断絶、疎外感・・・そういうものだけが私の中でもっともっと大きくなっていきます。

 チェーホフの作品には、多くの人物が登場して、お互いについていろいろな話をしています。あるときにはテクストが多すぎて、公演するのがとても難しいときさえあります。しかし、そこに登場する人たちはお互いを理解しておりません。いつもすれ違っています。それが今日になってもチェーホフの作品が偉大である理由の一つだと思います。

 最後に人生について遠くからみつめる客観性について話したいと思います。これは初めに話しましたアイロニーととても似たことです。シシュポスの神話のように、岩を転がして山を登っていきますが、すぐ落ちてきてしまいます。それが分かっていても転がし続けなければならないのが私たち人間の人生であるように、人間の人生をどのように見つめるのか、という問題です。

 たとえば1900年初めごろチェーホフが4大作品を書いたときは、世代が変わる時期でした。そのときその中心にはインテリゲンツィヤがいました。そしてインテリゲンツィヤが後に残され、また新しい世代が出てきました。今、私たちはまた新しい世界を迎えています。その昔チェーホフの時代にはインテリゲンツィヤがいましたが、今は別の人間がおります。どういう人間かといいますと、世界の戦争や悲しみを乗り越えて経済発展のために走り続ける人間がおります。この場にいる方の中でもそういう方がいらっしゃると思いますし、私の場合においても、私の両親はそういう世代に属する人でした。こういう方たちは、たとえば韓国であっても日本であっても、経済的な発展のために自分のことを我慢して、一所懸命に働きました。そういう方々はとても一所懸命に生きてきたのですが、しかし今は新しい時代の方々にその場を譲っております。そういう方が後方に去っていくことはとても悲しいことですが、これはまた仕方のないことだと思います。そういう方々がまさにチェーホフの作品にでてくるインテリゲンツィヤのような方です。とても悲しいことですが、世代が変わる時代でありますので、今、現在においてもチェーホフは皆さんに読まれるのだと思います。

 6月に日本に来たときに、いろいろな新聞社とのインタビューがあり、その中で一人の記者の方に、チェーホフを一言で表現するとどうなるのかと質問されました。そのときのインタビューの場所はこの建物の上にある部屋なのですが、窓の外からは川、運河が見えておりました。それを見つめながら私は記者の方にこう答えました。「その運河をみつめてみますと、運河はゆっくりと流れています。そのとき船も一隻見えました。とても余裕のある豊かな風景だと思いました。しかし水の中を見ますと、もっと強い水の流れが大きな海に向かって流れていきます。上から見た余裕のある、ゆったりした風景とは裏腹に、大きな海に向かっての強い水の流れがあります。私はそれがチェーホフだと思います。」

 最後になりましたが、チェーホフについて話しますと、一晩中話しても足りないくらいです。チェーホフのリアリズムについての話、現代のドラマにおけるプロットについての話、そこに登場する人物たちのキャラクターについての話・・・しかしこの場におきまして私が話したことは、昨日に続きまして、今日、現代においてチェーホフがなぜ今でも演じられ続けるのかということでした。今日はここでまとめたいと思います。私が言ったことがちゃんとみなさんに伝わったのかちょっと心配ですが、ご静聴、どうもありがとうございました。


楯岡 どうもありがとうございました。100年後、200年後の人間の生活を見据えてチェーホフが考えていたので、私たちもまたチェーホフと向き合えるのではないか、とお話くださいまして、まさにようやく私たちはチェーホフと同じ目線で話をする時代を迎えたのかなという感じもします。昨日、お芝居を拝見させていただいたのですけど、チェーホフの芝居を韓国の方々が日本でやるという、非常に不思議な時空間でした。『ワーニャ伯父さん』というのはチェーホフの作品のなかでは一番登場人物の関係が衝突する、不機嫌さを割合ストレートに出してしまう芝居だと思うのですが、その中でもどこか優しさに包まれているというような雰囲気がすごくありました。とても素敵なお芝居を本当にありがとうございました。

 では続いて岩松さん、お願いします。


岩松 岩松です。僕とチェーホフとの関わりということを喋ればよいのですよね。

 さっき紹介にありましたように、僕は大学でロシア語を学んだのですけども、それは取り立ててチェーホフを学ぶために行ったのではなくて、漠然とロシア文学というものに憧れていて、ロシア語を選んだのです。それで大学に入って演劇を始めまして、自分は役者として演劇に関わり始めたんですけど、そのうち本を書くようになって、しばらく自分のオリジナルの作品を書くことに費やしていました。あるとき、チェーホフの『ワーニャ伯父さん』を脚本化してくれないかとある劇団に言われた頃から、なんとなくチェーホフに接近していった、というのが簡単な流れなのですね。

 どういうふうにチェーホフを好きなのかということを話し始めると長くなりそうなので、ちょこちょこ話す機会もあるかと思いますので、初めにそれは言わないでおきます。

 僕はその後チェーホフにまつわる話を2つ書きました。最初に書いたのは『夏ホテル』という戯曲です。チェーホフは44歳のときに南ドイツのバーデンワイラーというところで死んだという事実がありまして、一部有名な話なのですが、最後に「しばらくシャンパンを飲んでない」という話をして亡くなったというエピソードがあります。ある人に、その逸話をもとにしてレイモンド・カーヴァーという作家が『使い走り』っていう小説を書いていると話を教えられたのです。それはどういう話かといいますと、夜中にシャンパンを飲みたいと言ったために、ホテルのボーイがシャンパンを買いに走らされるという使い走りの話です。その話を聞きまして、これは使えるのはないかと思ったのです。『夏ホテル』では、日本人のマジシャンの一行が『夏ホテル』にいくのですが、そのホテルで毎年チェーホフの命日に「シャンパン祭り」という盛大なパーティーがあります。そこでシャンパンを買いにいったボーイの子孫が呼ばれていて、貴賓なので、マジシャンの一番の親分が泊まっているゴージャスな部屋を開けてくれといわれるという、簡単にいうとそういうお話なのです。

 それが1つありまして、2つ目に『「三人姉妹」を追放されしトゥーゼンバフの物語』という戯曲を書きました。新国立劇場でチェーホフについてのシリーズにやるので、チェーホフについてのオリジナル作品を書いてくれと頼まれたことがあったので、それに応えた作品です。

 これは『三人姉妹』のトゥーゼンバフという人がイリーナという三女と結婚することになっていて、最後、明日結婚してその場を発つという日にソリョーヌィという人と決闘をして、死んでしまうという話が入っています。婚約者のトゥーゼンバフが死んだときに、イリーナが「私、わかってた」というのですね。その言葉が非常にチェーホフ的だと思ったのがひとつの発端になっております。

 チェーホフのシリーズということで、僕は通常、チェーホフは好きだと割と公言していて、あんまり好きだ、好きだというとみっともないと思って、ちょっと批判する人間が必要だと思ったのです。それでテネシー・ウィリアムズというチェーホフが好きじゃないという作家がおりますので、その人にチェーホフを客観的に語ってもらおうというアイデアも片っ方にありました。トゥーゼンバフが死んだときに、イリーナが「私、わかってた」というそのフレーズが劇作家として、何かすごくにくいセリフだな、と思ったのですね、僕としては。たぶんテネシー・ウィリアムズだったら、婚約者が死んだと教えられたら、「私、わかってた」なんて言わないで、もうちょっとわめき叫ぶのではないか、"you are liar ! "と言ってもうちょっと騒ぐのがテネシー・ウィリアムズではないかと思ったんですね。なんといいますか、感情を封じ込めるという手合いのセリフ術がすごくチェーホフ的だなと思ったのが発端にあります。

 それで決闘の仲介をするチェプトゥーギンという医者がトゥーゼンバフに、「君が死んだら、イリーナは『私、わかってた』と言うドラマになっている。チェーホフがイリーナにいいセリフを言わせるために、その犠牲になって君は死ぬんだ。だから君は死んでいないことにするから、逃げなさい。その代わり、君は『三人姉妹』の世界には戻れないよ」と言って、チェブトゥイキンは『三人姉妹』の現場に戻っていく。そして「今、決闘でトゥーゼンバフ男爵が殺された」と言って、そしてイリーナは「私、わかってた」と言う・・・『三人姉妹』はそういうふうになっている、と思いました。

 そしてトゥーゼンバフは1947年のアメリカに、『ガラスの動物園』を発表して今や時代の寵児となったテネシー・ウィリアムズのいるアメリカにワープします。そこでテネシー・ウィリアムズが全盛の頃に『ガラスの動物園』が大入りしてる劇場の向かいでチェーホフの『三人姉妹』が上演されている。そこは本当に客が入らなくて、毎日、客が2、3人しかいない劇場にトゥーゼンバフが毎日観に来ていて、そこでイリーナ役を演じている女優に当然のように恋をしてしまうんですね。そして毎日、追っかけるのです。

 ところがイリーナ役をやっている女優は今やブームのテネシー・ウィリアムズの劇に出たくてしょうがなくて、テネシー・ウィリアムズの方に一所懸命、声をかけているという状況がありまして、一方でトゥーゼンバフは毎日、ストーカーのように付きまとっている。  ところが毎日観に来ているトゥーゼンバフを劇場の売り子の女の子がすごく好きになって、こっちはこっちを好きという話があって、基本的にアメリカに行ったトゥーゼンバフは3人のイリーナに囲まれるという話になっています。女優をやっているイリーナと、売り子も自分のことをイリーナといい、もう一人アメリカの町で娼婦をやっている娼婦イリーナと、イリーナの3パターンがトゥーゼンバフを取り囲むという、簡単にいうとそういう話です。

 「私、わかってた」という話にちょっと関係があるのかもしれませんが、僕がチェーホフのどういうところに惹かれて、どういうところが好きかということを今の話でいいます。

 テネシー・ウィリアムズがチェーホフの悪口を言うのですが、それは逆にいうと全部長所でもあるのです。その辺りをちょっと劇中で喋ったりするんですけど、煎じ詰めて言えば、全ては等しく存在してるいというようなことを僕はチェーホフが言っているような気がしているんですね。

 チェーホフの芝居は役者として演じるのは難しいのではないかと僕は勝手に思っているのです。たとえば人は喋るときに、今、僕も喋ってますけど、喋りながら当然のように僕は人にどう見られるのだろうと思って喋っているわけです。芝居というのは、割と喋っていることに意味があって、喋ればそれで済むんだ、という範囲で書かれているものが多いような気がします。でもチェーホフは、喋りながら、どういうふうに見られているかということも含めて劇にしている、というところにチェーホフのすばらしさ、すごさ、実は演じるということは難しいのだということが、あるような気がするのです。

 それは喋っていることと、見られていることが等価で、同じ時間に等しく存在しているということになります。たとえば通常、今の時間に世界のどこかで人を殺している人がいるわけですが、同じ時間にアパートでいいことないかなって寝っ転がってる若者いるわけですよね。人が生きてるという意味において、まさに今、人を殺している人も、つまらないなって言っている人も、多分、同じ人の価値があるだろう、という考えて、それを演劇化したというのがチェーホフではないかと思うのです。

 通常、人殺しがあって、ドラマチックに、演劇は見世物としての価値をおいて、そっちのほうをやってきた気がするのです。それはなぜかというと、事件が起こると割りとわかりやすいし、人に与えるものとして非常に有効である、見世物として有効だったからです。そうではなくて、今の時間に人殺しをしている人がいるということと、アパートでつまらないなって寝っ転がってる人が等しいという価値観のもとに、アパートでつまらないなって寝っ転がってる人も、生きているということなんだよと、教えたのがチェーホフなんだと僕は思っています。そういう意味の等価であるということなのです。そういう理屈の中で編み出されたドラマトゥルギーといいますか・・・退屈だというフレーズが結構出てくるんのですが、これはそういうことを描くために必然的にチェーホフが豊かだと感じた時間を選んだということだと思うのです。

 一番象徴的なのは『かもめ』の第2幕です。最初にひなたぼっこしているシーンから、退屈だという小説をアルカージナが読んでいる、マーシャはマーシャでぼーっとしているというシーンから始まるのです。それがシャムラーエフが馬が一頭いないって伝えにくるだけで、皆が蜂の巣をつついたように喧嘩になるのですね。

 それはさっきキムさんもおっしゃいましたけど、何でもなく見えている下になにが渦巻いているかということ、退屈の実体ということ、退屈というなにもすることがないということは、ドラマが、あるなんらかの方向に行くことを阻止されている時間のような気がするのですね。目的がない時間といいますか。そういうふうなものというのは、実はいかようにも動く準備があり、何かきっかけがあったときにこっちに動いたというような。動き始めたときのことではなくて、動き始める前の時間がドラマとして豊かであると考えたチェーホフがそこにいるような気がするのですね。

 つまり問題が起こってしまったときには、ドラマというのは一筋のものになりますけれども、ドラマが何も起こってない時間はいかようにもドラマが蓄えられている時間、幾重にも重なっている問題があり、それが表沙汰になっていない時間のなかにドラマの豊かさを感じたし、それを人間レベルでは退屈だと感じる時間として捉えているような気がしているのですね。

 だから通常ドラマの事件によって引っ張られているものを、逆に引っ張らせないようにしたというのが、煎じ詰めればチェーホフの魅力ではないかなと考えます。


楯岡 ありがとうございました。表現の仕方は違いますけれども、やはりキムさんのおっしゃったこととすごく響きあうところがあると、伺っていて思いました。たとえば皆が均等であるという見方は、たぶんチェーホフがすごく遠くからみているので、だから感情的な面での自分からの近さ・遠さということではなくて、客観的に人をみている・・・また人としてのあり方、存在そのものというのは皆、誰でも同じなのだけれども、ある種の何らかの力が加えられると、潜在的なエネルギーがいかような方向にも飛んでいってしまう。チェーホフの登場人物というのは誰かが特権的に偉かったりとか、優れていたりするのではなくて、誰もがお互いの立場になり代わり得てしまう。でも悲しみであるとか、喜びであるとかというのは、個人的な感情として残っていくという、非常に面白い作家だなと常々思っています。

そうしましたら、ここで休憩といいますか、気分を変えるという意味でビデオを観たいと思います。最初に昨日上演されましたキム・テフンさん主演の『ワーニャ伯父さん』から2つのシーンを見ていただきたいと思います。

 最初は第2幕の一部です。『ワーニャ伯父さん』の話はだいたいご存知だと思います。ワーニャと姪のソーニャのところに、ソーニャの父親のセレブリャコフが若いエレーナという妻を連れて戻ってきて、セレブリャコフの部屋に皆が集まっています。2幕の最初のところで、痛風ではないかと自分の体調を心配して、機嫌が悪くなっている大学教授のセレブリャコフを皆でなだめながらも、そのわがままに付き合いきれないという場面です。主人公のワーニャとセレブリャコフが犬猿の仲で、セレブリャコフがワーニャと2人きりにするのだけはやめてくれ、この男だけはどこかにやってくれと言うシーンです。ではビデオをお願いします。


ビデオ上映:『ワーニャ伯父さん』(韓国・劇団「地球演劇研究所」)(1)


楯岡 ありがとうございます。今のところでセレブリャコフが「こいつとだけは一緒にしないでくれ」と言っていて、最後にでてきたマリーナという世話役の人が、セレブリャコフをなだめて寝室の方に連れて行くところです。

 次に観ていただくのが一番最後の有名なシーンです。全ての人が去っていって、ワーニャが「自分は非常に苦しい、それがどんなに苦しいか分かってくれたらなぁ」と言うと、ソーニャが「仕方がない、でも私たちは生きていかなくては。休む間もなく人のために働いていって、そのうち一息つくことが私たちはきっと出来るのよ」と言う最後のシーンです。お願いします。


ビデオ上映:『ワーニャ伯父さん』(韓国・劇団「地球演劇研究所」)(2)


楯岡 すごくシンプルな舞台装置なのですけど、とてもロシアの雰囲気がでていてすばらしい舞台でした。

 次に岩松さんの『「三人姉妹」を追放されしトゥーゼンバフの物語』というものすごくユニークなストーリーです。岩松さん、これから流すシーンについてかいつまんで説明していただけますか。


岩松 これは芝居の中程です。トゥーゼンバフがアメリカにいて浮浪者たちと知り合いになって、その浮浪者たちを相手にしているときにだんだん自分がロシアにいたときのことを思い出すというシーンです。


ビデオ上映:『「三人姉妹」を追放されしトゥーゼンバフの物語』


楯岡 ずっと観ていたのですけど、残念ながらシンポジウムの方に戻らなくてはなりません。

 最後に多和田葉子さんの『ピアノのかもめ / 声のかもめ』です。その中の「喪服ということはありえない」という場面なのですが、多和田さん、一言その作品の説明をお願いします。


多和田 2年前にもやったのですが、ビデオはおとといやったものからです。

 この場面では『かもめ』の一番最初の部分のセリフを淡々と読んで、その一行ごとに全然関係のない詩を歌っているのです。ポンプの詩ということで、(口に)くわえているのはポンプではなく、ピアニカです。この録音ではあまり聞こえないかもしれないけれども、「喪服ということはありえない、悲しいということはありえない。私たちは汲み上げ式ポンプのように朗らかに機能する。納豆で練り上げた涙もアンモニアを含んだ加湿も困ると困らぬもかかわらず、吸い上げられ、また吐き出される」という言葉をチェーホフの芝居の間で言っています。


楯岡 それではビデオをお願いします。録音の音が大きすぎて割れてしまっているのですが、ご了承ください。


ビデオ上映:『ピアノのかもめ / 声のかもめ』


楯岡 ありがとうございました。シアターカイさんと、それからアートスフィアさんと、それから岩松了さんからビデオをご提供いただきました。ありがとうございます。

 そうしましたらまたお話のほうに戻りたいと思いますので、浦さんお願いいたします。


写真:浦雅春氏(左)、キムテフン氏(右)

写真:浦雅春氏(左)、キムテフン氏(右)


 今、お芝居を少し見まして、最初のお話にもありましたけれども、不条理であるとか、割とはちゃめちゃな世界であるとか、今の多和田さんのやつにしても、やっぱりセリフと、それ以外のものが加わってて、それぞれに僕から見ますと、非常にチェーホフ的じゃないかなと思います。非常に面白く見させていただきました。

 で、今日は「呼びかけと応答」ということでお話をさせていただこうと思います。少し堅苦しいかわかりません。

 まずチェーホフがどういう時代に生まれたかといいますと、これはご存知のように、まあロシア文学の中でいいますと、ドストエフスキーだとかトルストイなどのあとの世代の作家であったわけです。これは何かというと、今で言う「大きな物語」が壊れたあとの世代です。つまり、今でこそ「大きな物語」が壊れた、つまり社会主義的な理念が壊れただとか、そういう物語が壊れたということで、ポストモダンだとかいってますけど、実は、チェーホフは19世紀の末に、既にポストモダンを迎えていたということですね。その「大きな物語」が壊れたというのはどういうことかというと、チェーホフの中では、世界を成り立たせる意味ってものが壊れてしまった、という自覚が彼にはあった。

 で、彼はそのことを、これは有名な小説ですからお読みになった方もいると思われますけど、『退屈な話』というもののなかで書いています。これは、チェーホフが割と率直にというか、自分の内面をさらけ出すような形で書いているんですが、どちらかというと割と小難しい言い方をしてます。一般理念が、自分にはない。ある大学の教授が自分の一生を振り返ってみると、自分にはあらゆるものを意味づけるものがなくなっているんだ、結局自分は無なんだ、空なんだ、という、この認識自体も割と我々の認識に近くというのかな、世界感覚に近いものだと思いますけども、そういう話を書いています。

 もっとわかりやすい例でいいますと、実はこの『退屈な話』を書いたのは1888年ですけども、それから10年後に、これまた有名な小説ですけれども、『かわいい女』を書いています。「かわいい女」っていうのは、要するに自分の意見を持たない女、次々と夫が亡くなるため、2度ばかり結婚するんですが、3度ばかり男の人が変わる。で、彼女が言うのは、その夫の意見であって、彼女自身は自分の言葉をもたない、で、すべての男が去ったあと彼女はどうなるかというと、彼女は話す言葉っていうのをまるでなにも持たなくなる、なにも話せなくなっている。

 その彼女は、つまり、よく言われるバカな女といってもいい、最初はそのつもりでチェーホフは書いたらしいのです。そういう風に、自分が語るべき言葉をなくして、彼女は自分の家の中庭を日がな一日ボーッと見ているという、中庭にはまた何もないんです、空白なんです、空っぽなんです。で、彼女は夜寝ると、またその空っぽの庭の夢を見る。それどころか、実は彼女の心の中自体が、あるいは内面といってもいいかと思いますけども、それ自体が空っぽである、という恐ろしい話を彼は、チェーホフは書いた。

 だけど、チェーホフが、先ほど言いましたが、『退屈な話』が1888年、今の『かわいい女』が1898年の10年後なんだけども、10年前には意味がない、世界の意味が壊れてしまったということをものすごく騒ぎ立てるように言ったんですけれども、『かわいい女』ではそんなことは言ってないですね。ただ彼女は空白であった。そして、最後に彼女は自分が好きだった人の息子、子供を引き取って、その子供が読む教科書の言葉を、「島というのは陸の一部で・・・」というのを、ずっと忘れていた、言葉を失っていた彼女が、ようやく自分は語れる言葉を得たんだ、という形でもって、ただ単に教科書に書いてあるような記述を彼女は口にする。彼女はだけどそれだけでも幸せだ、うれしい、そのことをチェーホフは非難しようとしていないのが、その10年間の彼の発展ではなかったかと、変化ではなかったかと思います。

 そういう、自分の内面が空っぽであるというような事態と、チェーホフの後期の作品、今挙げた『かわいい女』も後期の作品なのですが、その後期の作品には、2つの大きな特徴があります。そのひとつは「音を聞く」ということです。

 あまりお読みになっていないか分かりませんけども、チェーホフが活字になった一番最後の作品に『いいなずけ』というものがあります。あるいはその前の『大麻』であるとか、『往診中の出来事』とかというものも、後期の作品にはおびただしい「音」というものが聞こえてくる。あるいは響いている、書き込まれている。

 特徴的なのは、その主人公たちがその「音」にものすごく聞き入っている、なぜ聞き入っているかというと、どうもその「音」の中に、「音」というのは日常的な音なんですよ、風が吹いて窓が揺れるであるとか、窓がガタガタいっているとか。あるいはロシアの暖炉ですから、風が吹き込むヒューという音が聞こえる。そういう音を盛んにチェーホフは書いて、さらにその音に、聞き入っている人の姿っていうものを書いている。

 わかりやすい例で言いますと、時間がありませんから端折りますけども、例えば芝居だってそうなんです。『三人姉妹』の一番最後に、軍楽隊の音が鳴って、オリガが「あの音を聞いていると、私たちも生きている意味が分かるかもしれない」、と。それをちょっと茶化す意味で、チェブトゥイキンがちゃんと最後に出てきて、「(結局は)同じだ」、みたいなことを言うわけだけれども、そういう叙情性というものをひっくり返すことがもちろん置かれているわけですが、『三人姉妹』に、そういう「音」に聞き入って、「音」から何かの意味を汲み取ろう、という人物たちが現れている。

 あるいは、『桜の園』の中にも2幕と4幕に、変なト書きがあるわけです。「何かワイヤーが切れるような音がする」と言ってみんながはっとして、いったん芝居が止まって、それぞれの思いが結晶する。こんな音あったけど、実際に芝居にするときにどんな音出せばいいかよく分からないような音なんだけど、いずれにしてもチェーホフはなんかそういう「音」というものを書いている。そして、それに、聞き入ろうという人たちというものを書いている。

 できたら一度後期の作品を少し御覧になっていただければ、そのことは了解していただけると思うんですけど、そういう「音」を聞く、「音」に聞き入る、それは、それぞれの人物が、悩みを抱えていて、そのときに音が出てくるんです。ただ単に、関係なく音が出てくるわけではなくって、その音というのは、内面に何かの問題を抱えているという人たちが、音を媒介にして、音に触発されて、自分の内面を見つめる、内なるところを見つめるというものが後期の作品には出てきます。それと僕は表裏一体をなしていると思いますが、その「音」に聞き入る、その「音」の中にはなにかの呼びかけがあるんだろう、という風に、主人公たちは思うのですが。

 それと同時にそれを補完するようにっていうのかな、チェーホフの後期の作品には、「呼びかけ」というものが出てきます。今、仮に言いますその「呼びかけ」というのは、僕が思いついた卓見ではなくって、僕が大学院生であった頃に、今はお亡くなりになりましたが、ドストエフスキーの翻訳なんかで有名な江川卓さん、江川卓先生という方がいらっしゃいました。彼が僕に、「後期の作品は呼びかけだよね」という言い方をされて、詳しくはおっしゃってくださらなかったんだけど、それは、僕にとってはずっと宿題として残っているわけです。

 この「呼びかけ」というのは何かというと、別に作品の中で呼びかけがあるわけではないです。例えば『中二階のある家』なんかでは最後に、画家の淡い恋を描いてあって、それが悲恋に終わるわけだけども、最後に、相手の女の子の名前、愛称がミシューシというんですが、「ミシューシ、きみはどこにいるの?」と、非常に叙情的な呼びかけで終わっていますけれども、実はそれが問題ではない。実はチェーホフの作品の題名が呼びかけになっている。

 これは日本語の翻訳で読んでいるとなかなかわかりづらい。例えば『かわいい女』。これはロシア語ではドゥーシェチカというんですが、これは(ロシア語の)「ドゥシャー」、つまいソウル、魂、を意味する言葉からきた愛称なんですが、これは愛らしい人、かわいい人に対する呼びかけになっている。日本語はそれでは翻訳にならない、題名にならないですから、『かわいい女』と書いて「かわいいひと」というふうに訳されていますけれども、実際には呼びかけなんですね。

 もっとわかりづらいですが、先ほども題名を出しましたが、最後の作品の『いいなずけ』、これも(ロシア語で)ニェヴェースタというんですが、確かにこれはフィアンセの、ある男と結婚しようとするんだけども、それを思いとどまって、「このままの生活でいいのかしら」−これは非常にチェーホフ的なテーマですが−それでもってその結婚をあきらめるというか、止めて、断念して、新しい生活を求めて外に出て行く、という女性の話です。これは確かにある部分では「いいなずけ」であったわけですから、そのものが題名になっている、とも読めるんですけども、実は作品の途中で、女性が帰ってきたときに、周りの子供たちが囃し立てるんですね。「ニェヴェースタ、ニェヴェースタ」と言って。で、これは「いいなずけ」と訳すわけにはいかない。おそらく日本で言うと、翻訳もそうなってますが、「お嫁さん」といいますね。だけどこれは呼びかけなんです。あと詳しくは言いませんが『犬を連れた奥さん』だってそうです。あれはみんなが「また新顔が現れたよ、犬を連れた奥さん」というふうに呼んでるんですね。あるいは、もちろん芝居だったら、今出てきた『ワーニャ伯父さん』がそうです。昔は、日本の翻訳は「伯父ワーニャ」と訳されていました。だけど、最近では「ワーニャ伯父さん」、つまりこれは、ほとんど呼びかけに近い形でもって訳されている。

 チェーホフは、そういう「音を聞く」とか「呼びかける」ということに後年、晩年になって、非常に力を入れたというか、それが、チェーホフの作品の中で浮上してきている、ということがある。この「呼びかけ」であるとか、「声を交わす」というのが一体どういう事態かといいますと、僕が、院生で下宿してたときにこういうことがあったんですね。隣の家から、子供とお母さんの声が聞こえてくる。姿は見えないんです。それはどういうことかというと、ただ子供が「お母さん」といってお母さんが「はーい」という、僕はどういう風にこの二人が声を掛け合っているのか分からない、非常に近くにいることは確かです。「お母さん」と「はーい」。これは「呼びかけ」なんですね。つまりこの「呼びかけ」というのは何かを要求しているわけではない、相手に言葉をかけてなにかをしろ、というわけではない。ただ、相手がそこにいるということを、そのまま確かめている、あるいはその存在自体を確かめることによって安心をしている。

 我々の言葉というのは、実際には何か具体的な動きがあったり、具体的な目的でどこかにむかわせるというのが言葉の役割なんだけれども、言葉にはそれだけではなくって、ただ単に、まさぐりあうようにして、人を確かめるということがある。おそらくチェーホフが、先ほど言いました「意味が壊れた世界」に気がついた。そこから『退屈な話』だとか、そういう「無意味な世界」「ナンセンスな世界」というのを書いているんだけども、そういうナンセンス、無意味ということを通してどこに行きついたかというと、どうもそういう「音」だったんではないかと思われます。

 「音」というのは先ほど言ったように、人に何かを働きかけるというよりは、その人自体の存在を丸ごと認める。『かわいい女』に立ち返って見ますと、もともと自分の意見をもたない、浅薄な女性を描いた。だけどチェーホフはこれを呼びかけることによって全存在を丸ごと認めたんだろうと思いますね。チェーホフはその「音」による新しい世界の生まれ変わりというか、再生というか、これは言葉をもじって「音ずれ(訪れ)」と言いたいんですが、その「音」によって、そういう世界が訪れるということを、どこかで期待していたのではないかと思います。

 最後にあともう少し。今言ったようにチェーホフは、無意味な世界から、呼びかけ−応答の世界に行き着いたわけですけども、例えばそれを現代にひきつけて考えてみると、これは非常にあざとい話か分かりませんが、我々はそういう応答、相手の存在を認める、肯定する、というそういう応答を持っているか、というと、我々に今ある応答というのは、報復でしかないわけですね。

 これはイラク戦争を見てもそうだし、ロシアで言うとチェチェンの問題にしてもそうですけども、報復という応答しか、今、我々は持ちえていないかもしれない。その報復というのは、言うまでもなく、単なる、今私が言いました応答ではなくって、相手を殲滅し、壊滅させ、つまり相手を否定する、そういう応答ではない応答の可能性というものをチェーホフの作品は持っていたのではないかな、と思います。」


楯岡 ありがとうございました。そうしましたら続けて多和田さん、よろしくお願いします。


多和田 明日からまじめな文学を書こうと思い立った。これまでだって、別に人を笑わせるためだけに、あることないこと捏造してきたわけではない。初期の私は金を稼ぐためだけに何の考えもなく筆をとっていたなどと書く文学解説者にはトマトを投げつけてやりたい。なぜ人を笑わせる文学は不真面目だと決めつけるのか。まわりにいる人たちをきまじめにあるがままにそのまま描写したら滑稽になってしまっただけだ。そもそも人間が滑稽なのがいけないのだ。リアリズムを目指せば目指すほど、娯楽文学になる。わたしは滑稽ではない主人公になれそうな人物を探そうとしたが、なかなか見つからなかった。悪戦苦闘の末、ついに見つかった。大草原である。人間はとりあえずみんな滑稽なので失格だが、ロシアの大自然には滑稽なところがない。というわけで、南ロシアの大草原を取材することにした。子供の頃に行ったことがあったので、その記憶をまずたどっていってみた。虫の声が聞こえる。眠くなってくる。眠いという状態は、文学的で大変よろしい。いつも目覚めて、てきぱき行動できるのは、邪道である。眠い状態で、目的もなく、考えるともなく考える。そうして「大草原」という作品を書いた。大草原を馬車に揺られて、叔父と神父に連れられて旅する主人公はまだ子供なので、放っておけば眠くなるし、熱も出す。熱が出れば、意識はますますぼんやりとして、不思議な音、不思議な声が聞こえてくる。草原の霊にとりつかれたようになる。子供が熱を出すのは、シャーマンになる準備段階でもある。

 こうして中編小説「大草原」はうまくいった。この小説には思想がない、などとけちをつける批評家もいたが、草原に思想があってたまるか。主人公が子供というのも、なかなか名案だった。しかし、いつも子供ばかり使っているわけにはいかない。大人で、しかも、いつも眠くて退屈しているために、シベリアの霊にとりつかれてしまうような連中はいないのか。商人は退屈している暇などない。農民もいつも忙しい上、抜け目がないから失格。医者は奴隷のように働きっぱなし。わたし自身医者だから、これは間違いない。考えに考え抜いて、やっと、いいことを思いついた。貴族階級の人間の生活を取材して使えばよい。わたしは、解放農奴だった父親が商売に失敗したため、貧しい環境で育った。貴族階級のことはほとんど知らない。知らないことは、取材すればいい。サハリン島の囚人や移民たちを取材して以来、人類学者のやるフィールドワークの楽しさにすっかり味をしめてしまった。フィールドとはもともと草原のようなもの。人間でも草原でもいい。とにかくフィールドとして調べてやろう。自分とは縁のない階級の生活を調べて描くこと。しかもそれを「我が生活」として描くこと。なかなか魅力的ではないか。私小説にはもともと関心がなかった。ブーニンは後で、「分かりもしない貴族の生活を調べて描くなんて」と馬鹿にされたが、馬鹿にされることを恐れていては、作家などやっていられない。

 調べてみると、貴族階級の生活は、サハリン島の囚人たちの生活とはまた別の意味でなかなか魅力的だった。貴族階級は滅びゆく種族、もし彼らが動物だったら、天然記念物になっていたかもしれない。自分の力で生き延びようと貧乏くさくあがいてみせるのではなくて、パンダのように悠々と運命を他人に任せているところがよろしい。貴族の生活は死を一歩前にしているのに退屈で眠い。この人たちなら登場人物に使ってもよい。もちろん彼らだって最後の手段として、退屈から逃れるために、たとえば性の快楽にふけるという手はあっただろう。それを描写すれば娯楽小説になってしまう。そうしないために、わたしは、恋する登場人物全員に「片思い」の運命を言い渡した。たとえ貴族に生まれても、トルストイのように頑張るのが偉いのではないか、と思って彼を尊敬していた時期もあったが、そのうち、トルストイにも嫌気がさしてしまった。彼は一体何を意気込んでいたのだ。貴族なのだから貴族らしく、雨が降っても読書などしないでトランプ遊びをしていればいい。晴れたら決して畑など耕さないで、お茶でも飲んでいればいい。トルストイは貴族が何もできない人として描かれていることが悔しかったのだろう。「君の小説はいいが、戯曲はよくない」などと文句をつけてきた。

 もちろん、貴族だけが出てくる作品を書くつもりはない。小説の中に色々な階級の人間を出してきて、お互いに対話させたい。でも、みんなに本当に討論させる技ではドストエフスキーにはかなわない。だから、ポリフォニー小説などで彼と競いあうのではなくて、芝居を書くことにした。ドストエフスキーは芝居にはあまり縁のない男だった。おしゃべりすぎて、戯曲には向かないのかもしれない。舞台にはセリフ以上に沈黙が必要なのだ。

 戯曲を書いて、登場人物にそれぞれしゃべらせて、作者は誰の思想にも肩入れしない。「にれの木が黒く見えるわ」などと登場人物に言わせて、それが何かの象徴だと考える人がいても結構、ただの風景描写だと考える人がいても結構。心理描写だと考える人がいても結構。言葉遊びだと考える人がいても結構。植物学者の目で観察しているのだと考える人がいても結構。いずれにしても、女優の口を通して、にれの姿が黒々と立ち上がる。私の登場人物は議論は得意ではない。「桜の園」のラネーフスカヤ夫人だって桜の木を切り倒してはいけないと思っていても、みんなを説得するようなうまい演説はできない。桜の木を切ってはいけないと言い張るだけで、何も行動はしないで、黙りがちになってゆく。そうして自分自身が桜の木に変貌していくのだ。ギリシャ神話のダフネと同じように。ラネーフスカヤ夫人の存在の半分はロシアの樹木の精霊。桜の木と一緒に切り倒されて死んでいくしかない。彼女の魂のもう半分はヨーロッパ人の精神。こちらは、パリに逃げていく。

 実は私が戯曲を書き始めたのがそもそも森の精にそそのかされてのことだった。その名もずばり、「森の精(レーシイ)」という戯曲を書いたのが、1890年。これはとても評判が悪かった。ロシアの観客に限らず世界中の観客がアニミズムを忘れようとしている時代だったし、自然保護運動はまだ起こっていなかった。六年後に書いた「ワーニャ伯父さん」も、滅びゆく森が喋り出すように書きたかったのだが、あまりあからさまに森を中心において人間の男たちを自殺で全部処理してしまうと観客の反感を呼ぶことが分かっていたので、書き方を工夫した。それでもまだ、森を守れという演説が長すぎる、と劇場から文句が出たくらいだ。森も守れ、木を切るな、などと言っても、エコロジストだったわけではない。実は人間そのものが森の精だったので、死にたくなかっただけだ。「桜の園」のラネーフスカヤ夫人が実は桜の木の精霊だった。そして、もうお分かりだったように、トレープレフは湖の精だった。彼が若い頃に書いて、湖のほとりに建てた野外劇場でニーナを演じさせようとした戯曲のことを思い出してほしい。人間も動物もすべて滅びてしまった後、みんなの記憶がひとつの憂鬱な塊になってふわふわと宙に浮いて独り言を言っているというあの台本。あれは人間の出て来ない不毛な実験劇だった、であるとは限らないのだから。トレープレフ自身が湖の霊、そして、ニーナはかもめの霊。トレープレフは自殺してしまう。でも、ニーナはウンディーネのように半分は人間の女になりかけていた。セリフの中で「わたしはかもめ」というフレーズが何度かもれる。かもめだけじゃないわたしがある。かもめであるけれども、もし全部かもめだったら本当に撃たれて死んでしまうしかない。そうではない。かもめであるわたしと、かもめでない私をぎりぎりのバランスで生きていくことができるニーナ。

 「かもめ」は悲劇ではない。「僕はハムレットではない」とトレープレフに言わせたかった。でもこのセリフではあまりにもあからさまなのでやめた。そのかわりに、台本の題名の下に「喜劇」と書いておいた。「僕はハムレットではない」と大声で叫べば叫ぶほど、「僕もやっぱりハムレットだった」になってしまう戯曲がこの世の中には多すぎる。トレープレフだって、ハムレットに見える。何しろ、父親は不在で、代わりに有名作家トリゴーリンが母親の恋人としてのさばっているのだから、人間関係はハムレット・ファミリーだ。一国の王座を争うわけではないが、作家志望のトレープレフにとって、トリゴーリンは王座を奪う叔父のようなもの。それを殺さなければ、自分の地位は獲得できない。おまけにハムレット同様、劇中劇までちゃんと出てくる。この劇もやっぱりハムレットになってしまいそうに見える。

 でも、これはハムレットではない。ハムレットにしないために一つ工夫を施した。それは、若くて美しい女を殺さないこと。たしかにニーナもオフェーリア同様、ちょっと頭はおかしくなった。「ふくろうはパン屋の娘だった」と言うのと、「わたしはかもめ」と言うのとどっちがおかしいか、どっちもどっちだ。ふくろうの方が、かもめより偏差値が高そうに見える。でも、オフェーリアと違ってニーナは死ななかった。少し狂って、狂気のバランスを保ちながら、生きていく。それに比べて、オフェーリアは死んで川の流れに身をまかす、流れていく、流れていく。美しい死体は口をきかない。オフェーリアの死体が口をきくのは、ハイナー・ミュラーの戯曲の中だけの話。普通オフェーリアは黙って死んだまま、あおざめた美しい死体になって流れていく。世界中の劇場と美術館の中を。これが、ハムレットがハムレットになる最低条件。でも、ニーナはオフェーリアにはならなかった。ぼろぼろになっても死なない。大根女優と言われながら、ろくでもない仕事でも引き受けて、貧乏で、トリゴーリンに見捨てられて、子供に死なれて、それでも死ななかった。したいほど完璧な美しさは保てなかったけれども、別に醜くもならなかった。それどころか、別の美しさで、最終幕でトレープレフの心をゆさぶる。自殺しないで生きていく。

 ニーナも結局は「三人姉妹」のイリーナのように、「ワーニャ叔父さん」のソーニャのように、「桜の園」のアンニャのように、希望を象徴する元気印。私の劇では、若い美しい女が死なない。彼女らは半分はロシアの森の精だけれども、半分は西洋近代の女性。彼女たちは希望を背負わされて、迷惑がっているかもしれないけれど、どんなイデオロギーにも身を任せずに、一身に空を見つめつづけた私の唯一の弱みは、若い女のイメージに希望を背負わせて輝かせてしまったことかもしれない。ちょうど肺病にかかった日本社会が好んで、「今、元気なのは、若い女性だけだ」と言いたがるように。

 その元気さは、短編小説「可愛い女」のオーレンカの元気さでもある。彼女には自分の意見がなく、その時々好きになって結婚した男の目を通して世界を見る。日本の翻訳者は、小説を訳してくれるだけでなく、それをどういう風に読めばいいのかまでも親切に後書きに書いてくれる癖がある。「オーレンカのように自分を無にして他人を愛することができれば女性に本当に幸福になれるのだ」という解説を書いてくれた訳者もいる。「女性はいくら可愛くても自分の意見がないのではやはりだめだ」と書いた解説もある。ふたつの解説を並べて読むと急に笑いがこみ上げてくる。

 「かもめ」のニーナの場合は、オーレンカのように自分の意見がない、とは言えないけれども、若いトレープレフが台本を書けば言われたとおりに演ずるし、作家のトリゴーリンには彼が有名だと言うだけで恋してしまうし、彼に見捨てられて、仕事がなくなれば、どんなにひどい脚本でも否定しないでセリフを口にして生きていく。女優というのはそういう意味で、自分がないように見える。でも、この女優という職業は、死なないでもすむ一つの生き方のモデルを示しているようにも見える。他者に興味を持つ。他者を演じる。他者になりきる。なりきっているようで本当は距離を保っている。他者を食べる。他者に食われそうになりながら、食いかえし、どうにかぎりぎり自分のない自分を生きていく。

 彼女は本当は森の精霊あるいは妖怪だったのだけれど、近代に入る時に森を伐採されて町に出てきて仕事がないので女優になった。現代に生きるわたしたちはみんなそんな意味での「女優」なのかも知れない。」


楯岡 ありがとうございました。突然チェーホフが語りだして驚かれた方もいらっしゃるかと思いますけれども、非常に面白かったです。

 そうしましたら、ちょっと時間がだいぶ押してしまいましたけれど、ディスカッション、意見交換にしたいと思います。

 キム・テフンさん、今、いろいろな話を、日本側の、日本側のという切り方はおかしいですけど、他の方々の発言を聞かれてみて、また、キムさんはチェーホフの作品世界をそのまま演じられたわけですが、先ほどのビデオではかなり変わった採り上げられ方をしておりますけれども、御覧になられて、もしくは今の多和田さんのを聞かれて、どんな感想をお持ちになられたでしょうか。今、他の方々の、多和田さんや岩松さんの作品を見て、どういう感想をもたれましたか。」


キム (ソウルには)チェーホフ・ナウというフェスティヴァルがございまして、チェーホフの作品から霊感を受けて書いたものを公演するフェスティヴァルがあります。そのフェスティヴァルでは、チェーホフの原作そのまま描くのはだめで、新しく解釈を加えるのですけれど、今回の、例えば、『夏ホテル』ですとか、色々な作品の中で、とても面白い想像力をみました。そういうものこそが、今でもチェーホフが私たちに読まれる、ひとつの原因ではないかと思います。

 韓国でも、チェーホフの死後百周年を迎えまして、色々な作品が出ております。例えば作品名なんですが、チェーホフをもう一回見る『グッドモーニング、チェーホフ』など、そういう作品が公演されております。

 御覧になった方もいらっしゃると思いますが、私が演じました『ワーニャ伯父さん』も原作をそのまましたものではありません。形式やセリフを変えたという意味ではなく、今日の目で、新しい視覚をもって解釈しました。

 ちょっと説明させていただきますと、ワーニャ伯父さんは自殺をするために、(医者の)アーストロフから、モルヒネの瓶を取ります。原作では、それを戻して、ワーニャ伯父さんとソーニャが残ります。公演をご覧になった方はご存知だと思いますが、今日見たビデオでは出ていませんでしたが、最後に独りになったワーニャ伯父さんが、もうひとつのモルヒネの瓶を取り出します。演出家たちはモルヒネの瓶を二つ盗んだというという風な仮定をしたのです。ひとつは友達(アーストロフ)に返して、もうひとつは最後まで持っています。そのモルヒネの瓶を使用するのかしないのかということは、観客が考えるということです。

 このように、チェーホフの作品は、それぞれの国とそれぞれの文化でいろんな形で取り入れられることができるという意味で、チェーホフの偉大さをもう一度感じることになりました。またそういうのを、今日見せていただいた色々な作品を通じてもう一度を感じることができました。


楯岡 ありがとうございました。確かにモルヒネの瓶を返したはずなのに、独り残ったワーニャ伯父さんがそれをジーッとみつめるというのがすごい緊迫感を持っていて、非常に印象的なシーンでした。

 ところで岩松さんは、「チェーホフのテクストというのは、すごくいじりたくなるんだよね」ということをおっしゃっていますけれども、そのへんの感覚をについてちょっとお話いただけますか。


岩松 さっきも言いましたけど、チェーホフってそのままやりたい野心もあるんですけど、やるとすごく難しいという恐怖感もありまして。

 今まで『かもめ』と『三人姉妹』をやりましたけれど、でそれぞれ楽しかったんですが、例えば、こう、チェーホフを好きだ、というために、あんまり好きだ好きだというとみっともないんで、作品として敬愛する気持ちを伝えられたら、そっちのほうが自分にとって、さまざまな意味で豊か、というかそういう感じを自分で持つんで、そのままやりたい気持ちもあるんだけど、変奏曲みたいなものを自分で作りたい、っていうのはあります。今でも、次にこういうことやりたいなということを考えたりはしています。


楯岡 例えば、シェイクスピアのテクストと、チェーホフのテクストを比べたときに、やっぱりチェーホフのほうが書き換えたい、ということなんですか、それとも別に比べてということではないのでしょうか。


岩松 それはひとつには、身近に感じる作品だというのがあると思うんですね、僕にはチェーホフという作家のほうが。

 それは時代的なことじゃなくって、僕は常々チェーホフとシェイクスピアとの違いみたいなことを考えるんですけど、シェイクスピアってのは、いかにもアクションが多くて、肉体を描いているような感じがするんですけど、僕はシェイクスピアの芝居っていうのは基本的に精神を描いてるに過ぎないって思うんですね。

 それに比べてチェーホフっていうのは、人には無駄な肉体があるっていうことを非常に捕らえているというか、さっき、喋ってても何かを感じる、という話をしましたけれども、人っていうのは頭の中で生きられればみんな二枚目だと思うんですね。ところが、姿形があるがゆえに、つまり見られるさだめがあるゆえに、色々と言ってもそれが相対化されていくというようなさだめを担っているような気がするんですけれども、そういう風に編み出された世界をいじくるということのほうが自分にとって身近であって、精神の、非常に端的なセリフで精神が・・・、だから基本的にシェイクスピアのセリフって信じていいセリフのような気がするんですけれども、チェーホフの芝居のセリフっていうのは、そんなにまともに受けてもしょうがないという感じの印象が僕はあるんですね。

 だから『かもめ』の最後にニーナがトレープレフに「私は耐えることが大事だってわかったの」とかなんとか言うんですけれども、言えば言うほどなんか惨めになる。別に耐えることがわかったって言うことを真に受ける筋合いは何もない、っていうような状況になっているような気がするんですね。

 なんかそういう意味で、まず、親近感ゆえに、それで遊びたくなるというような感じだと思うんですね、僕の中では。」


写真:岩松了氏(左)、多和田葉子氏(右)

写真:岩松了氏(左)、多和田葉子氏(右)


楯岡 ありがとうございます。無駄な肉体っていうのが面白いですね。今、多和田さんはチェーホフになりかわって、というよりはチェーホフになって話を語っていただいたんですけども、チェーホフを取り上げるときの多和田さん自身とチェーホフとの距離というはどんな感じなのかお話いただけますか。


多和田 私もやっぱり単にチェーホフが好きだったんですけども、それで、なんかチェーホフで2年前にやって、そのあとブレヒトやって。ブレヒトは嫌いなんですけども、嫌いなときのほうがなんだか手ごたえがあった。

 それで、さっきの岩松さんのストーリーがすごく面白いと思うんですけど、それはやっぱりね、チェーホフっていうのはドイツ演劇の研究家の方の話によると、チェーホフは好きな人がすごく多い。チェーホフが好きっていう演出家がすごく多くて、その人たちの芝居をみると面白くない。ただチェーホフが好きだからやってるという以上のなにものでもなくなってしまうという危険が多いんだよ、って言われて、ああ私がやったらまさにそうだなと思ったんですよね。

 で、そのやっぱり嫌いだなっていう視線、嫌いじゃないんですけども、その嫌いっていう視点はすごいなあ、と思うんですけども。それからまたは嫌い、という人物を仮に出すとかね。好きなチェーホフだからこそ。

 あとそうやってチェーホフについて考えている人はだんだん一人称と二人称と私とあなたと三人称のチェーホフ、彼がごちゃごちゃになってきちゃうんですよね。芝居と小説の場合もそれは違うんですけども、「私は」っていう風に芝居の一人の主人公が、登場人物が言っているという状況と、小説の中で「『・・・』と彼が言った」っていうのか、「私が言った」っていうのか、いろいろあると思うんですけど、それがごちゃごちゃになってきちゃう、っていうのはもしかしたらやっぱりその、「呼びかけ」っていうさっきおっしゃってたのこととも関係あるのかなあ、と今思ったんですけど。

 いったいこの一人称二人称三人称はどうなっているんだろうか、チェーホフの文学は。そのことを今日皆さんの話を聞いていて、これからもっと考えていきたいなと思ったということと、それから、音のこともすごく面白いんですけども。

 あと、キムさんの芝居のことですけども、戯曲のとおりやっていてもやっぱり日本で韓国語でチェーホフを見るってことは非常に貴重なことと思います。どうしてかっていうと、それを見たときに私はこの、一部しか見てないんですけども、私たちはそれロシア語を翻訳してやっているんだなということがあらためて自覚されて、それがいろんな言語で行われることによって、韓国語で行われることによって、またひとつ豊かになるんだと思うんですね。

 つまり翻訳っていうのが必要悪ではなくって、翻訳が非常に難しいことは確かなんだけれども、翻訳をする過程でいろいろな読みが同時に現れてくるっていうような、またはいろいろな声になって現れてくる、いろいろなチェーホフの顔が翻訳されることによってなんか見えてくるような感じがしたんです。

 何語をしゃべるかによって、体の動かし方、それにまつわるすべての文化が舞台に現れてくるわけでなんで、ああ、すばらしいな、と思って。ああそういえば私たちがチェーホフやるときも日本語でやってるんだ、ああいう風にやってるってことなんだっていう、第三者の眼からそれをまた見たような気がして。翻訳してるということの空間が、日本語でやってるときには日本とロシアしかなくて見えなかった部分が、第三言語によって非常に浮き上がってきたみたいで私はすごくいいなと思いました。


楯岡 ありがとうございます。確か翻訳はキムさんご自身がされていらっしゃるんですよね。

キム はい、わたしがやりました。

楯岡 本当はそのあたりのこともじっくりお伺いしたいんですが、残念ながらちょっと時間がなくなってしまいましたので、申し訳ありません、最後に浦さんから一言、まとめていただくようなことでお願いします。

キム あの、私からひとこと・・・

楯岡 ではお願いします。

キム シェイクスピアとチェーホフを比較するような話があったんですけれども、時間がないので、少しだけお話させていただきます。 『ハムレット』とチェーホフの『かもめ』をよく比較するんですが、韓国の演劇界ではハムレット主義という立場からチェーホフの演劇を見ております。

 もちろんいろんな視点からみる観点があると思いますし、シェイクスピアがもつ長所と、チェーホフが持つ長所、それぞれいろいろあると思います。しかし、私の立場から言わせていただきますと、チェーホフの作品を現代公演するにあたりまして、絶対なくしてはならないようなものがあると思います。それがチェーホフの作品にすぐ手をかけるのがとても難しい理由のひとつになっていると思いますが、私が理論的にちょっと強調しすぎているかもしれませんが、チェーホフの作品の深さのことを言いたいのです。

 この前にモスクワでアクーニンの『かもめ』という作品を見ました。トレープレフの死後に、その彼の家に集まって、誰が、またなぜ彼を殺したのか、というのを話す推理小説のようなものでした。まるでアガサ・クリスティの推理小説を見てるような気がしました。

 公演がよくできてないとかそういう点からは離れまして、今日私たちがチェーホフの作品を文学としてみることにあたりまして一番重要なのは、今こちらにいらっしゃる方たちも話したと思いますし、私も話しましたが、チェーホフ的なものということです。そのチェーホフ的なものというのを忘れてはならないと思います。もしかしたらそれ(アクーニンの)はもうチェーホフではなかったからかもしれません。ありがとうございました。


楯岡 ありがとうございました。まだまだ話は尽きないというか、これからたくさんいろんな問題をディスカッションしたいところですが、時間がなくなってしまいましたので、第一部をこれで終わらせていただきたいと思います。10分ほどの休憩で、45分から第二部をはじめたいと思いますので、またお集まりください。パネリストの皆様、本当にありがとうございました。



  1. シンポジウムの概要と総括・開会の辞
  2. シンポジウム第1部「チェーホフと世界」
  3. シンポジウム第2部「チェーホフと現代」・閉会の辞
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