チェーホフ没後100周年

国際シンポジウム「21世紀のチェーホフ」


 2004年9月24日に、日本ロシア文学会国際交流委員会が実施責任者となって、国際シンポジウム「21世紀のチェーホフ」が開催されました。以下にその概要と、シンポジウムにおける討議内容を掲載いたします。


シンポジウムの概要と総括

名称 国際シンポジウム「21世紀のチェーホフ」

日時 2004年9月24日(金)午後1時30分〜6時00分
場所 アートスフィア(東京・天王洲)  入場料 1500円(全席自由・税込)
入場者 一般社会人・学生・演劇関係者などを中心に約130名

開会の辞 川端香男里(日本ロシア文学会会長)

第1部「チェーホフと世界」1時40分〜3時30分

パネリスト キム・テフン(韓国・地球演劇研究所俳優)
岩松了(劇作家・演出家・俳優)
浦雅春(ロシア演劇、東京大学)
多和田葉子(作家)
司会 楯岡求美(ロシア演劇、神戸大学)

第2部「チェーホフと現代」3時40分〜5時50分

パネリスト アレクサンドル・チュダコフ(ロシア・世界文学研究所主任研究員)
エドゥアルド・マルツェヴィチ*(モスクワ・マールイ劇場俳優)
  牧原純(チェーホフ研究家)
司会 堀江新二(ロシア演劇、大阪外国語大学)

閉会の辞 井桁貞義(日本ロシア文学会副会長)

通訳 (露―日)吉岡ゆき、三浦みどり、道口幸恵
(韓−日)金王玄英、李東哲

 *当初の計画では、マールイ劇場からは、芸術監督のソローミン氏と女優のムラヴィヨーヴァ氏が参加する予定だったが、マールイ劇場側の事情のため直前にキャンセルとなり、代わりにマルツェヴィチ氏が参加した。

主催 日本ロシア文学会/チェーホフ東京国際フェスティバル実行委員会/
アートスフィア/阿部事務所/朝日新聞社
助成 国際交流基金 後援 都民劇場/駐日ロシア連邦大使館
実施責任者 日本ロシア文学会国際交流委員会



 このシンポジウムはロシア文学会が中心的に組織する企画としてはかなり大規模なものだったが、他の共同主催者、助成・後援など様々な形で援助してくださった組織、そして学会内外の多くの方々の支援のおかげで無事、有意義なシンポジウムを実施することができた。支援してくださった多くの方々に、ここで心からの謝意を表させていただきたい。

 なお本シンポジウムはチェーホフ東京国際フェスティバル実行委員会(委員長は川端香男里・日本ロシア文学会会長)によって準備された「ロシア国立アカデミー・マールイ劇場」招聘・日本公演(「かもめ」および「三人姉妹」、10月)と連携して行なわれた。またキム・テフン氏の地球演劇研究所も9月に「ワーニャ伯父さん」の東京公演を行った。

 日本ロシア文学会はこのシンポジウムと緊密な連携のうちに、さらに@日本ロシア文学会稚内大会プレシンポジウム(2004年10月1日):パフォーマンス「ピアノのかもめ 声のかもめ」およびパネル・ディスカッション「時空を越えて今チェ−ホフを語る」、A日本ロシア文学会チェーホフ記念シンポジウム(2004年10月2日)「チェーホフ『サハリン島』とその周辺」の二つの催し物を行っており、その全体をあわせて日本ロシア文学会のチェーホフ没後100周年記念事業と位置づけることができる。

 本シンポジウムが基本的な目的としたのは、以下の3点であった。

(1)日・露・韓の演劇人・研究者による討議を通じ、日本・アジア・ロシアを視野に入れた世界的な文脈において、チェーホフの文学と演劇の現代的な意義を解き明かす。

(2)チェーホフ作品で顕著に見られる現代的主題(社会的変動期における芸術と人間の倫理、コミュニケーションの不可能性と現代生活における「不条理」、精神的独立と社会的実践など)の検討を通じ、21世紀の現代社会と文化が直面する問題の解決に役立てる。

(3)日本・ロシア・韓国の演劇人・文学者の交流を通じて、この三国間(特に日露間)の文化交流を促進し、今後のさらなる文化的対話の発展を期す。

 まず第1点については、日露韓の3カ国の演劇人・作家・研究者によるパネル討論を有意義に実施することができ、事業の基本的な目的は達成されたものと考えられる。討論は国境とジャンルを越えた広がりを持つものとなった。

 第2点については、現代社会が直面する問題について、演劇・芸術の立場からの洞察が国際的な対話の場で展開され、パネリストから鋭い問題提起が次々となされ、たいへん刺激的かつ有意義であった。特に重要な論調の一つは、チェーホフが疎外された社会における人間のディスコミュニケーションを先取りしているとするもので、チェーホフの取り上げた問題が現代に直結していることが強調された。

 第3点については、劇的な変化を経験しつつある韓国の社会意識を反映したキム・テフン氏の解釈、ロシアの伝統に根ざした立場からチェーホフが開示している世界の豊かさを強調したロシアの研究者チュダコフ氏や俳優マルツェヴィッチ氏の意見が、日本側の研究者・作家・劇作家の視点と交差しながら議論がスリリングに展開したということで、交流の第1歩は成功したと評価できよう。

 今回のシンポジウムで明らかになったのは、20世紀初頭を生きたチェーホフ作品の登場人物たちが抱えていた不安と21世紀初頭を生きるわれわれの気分との間に多くの共通点があるということだった。現代の様々な問題は、19世紀末から20世紀にかけて作り上げられた「モダン」の枠組みの限界が危機的状況の陥った結果噴出してきたものである。現代の社会や芸術の問題を論じ、解決するには、まさに「モダン」を問い直す必要があることが、チェーホフ芸術の検討を通じて改めて確認されたと言えよう。

(国際交流委員長 シンポジウム実施責任者 沼野充義)

シンポジウムの内容


事務局より


 皆様、国際シンポジウム「21世紀のチェーホフ」へよくお越しくださいました。このシンポジウムの事務局の担当者として、開会に先立って一言、皆様にお詫びとご説明がございます。

 当初ご案内差し上げていましたチラシ等には出演者としてマールイ劇場のソローミンさんとムラヴィヨーヴァさんの名前が挙がっておりましたけれども、その後、止む得ない事情によりご出席いただけないということになりました。マールイ劇場からは、急遽、俳優のエドアルド・マルツェーヴィッチさんに出席いただくということになりまして、それに伴ってプログラムに若干の変更がございます。お詫び方々、ご了解をいただければ幸いです。

 それでは今日のシンポジウムをこれから始めさせていただきます。最初に日本ロシア文学会会長の川端香男里先生より開会の辞をいただきたいと思います。それでは川端先生、よろしくお願いいたします。(沼野充義)



開会の辞 川端香男里(日本ロシア文学会会長)

 平日の午後という時間帯にようこそお越しくださいました。今年はご存知のとおりチェーホフ没後100年であります。ユネスコではこういう生誕あるいは没年ということを記念してさまざまな記念祭、いわゆるセンタナリー(centenary)というものを登録しているわけですけれども、今年はチェーホフ記念年ということで非常に重要視して取り上げております。ただ今年は例年と比べて、そういったセンタナリーが不作でおりまして、私がちょっとみたところでは、ラサニエル・フォーソンの生誕200年、アルチュール・ランボーの生誕150年、それからチェーホフの『犬を連れた奥さん』を絶賛して、最上の傑作であると評したグレアム・グレインの生誕100年、めぼしいところはそんなところです。それに比べて没後100年のチェーホフというのは抜群の知名度であります。

 慣れないインターネットで今朝ちょっと見てみましたら、何千件というチェーホビアン・センタナリーというのがでておりました。そしてもちろんチェーホフゆかりの地であるメリホヴォ、ヤルタをはじめとして、サンクトペテルブルク、モスクワ、当然いろいろなフェスティヴァルがあり、世界のいたるところでチェーホフ記念のさまざまな行事がおこなわれております。ちょっとおもしろいのは、いずれも表題が "From Russia with love" とか、 "To Russia with love"とか、まあ非常に軽薄な表題がついていることなのですけれども、チェーホフが我々にとって重要なのはそこであります。ロシア語ロシア文学研究の専門家あるいは教育者の集まりである日本ロシア文学会が何ゆえにチェーホフを取り上げるか、ということはまさにそこにあるわけです。そういう文化の基盤となるところ、それをもとにしてロシアと日本との大きなつながりを我々がつくっていくという大きな意味があろうかと思います。

 世界各国で開かれているチェーホフ記念のさまざまな催しと比べてみますと、日本の現在までおこなわれている、これからおこなわれるイベントの量は抜群であります。たとえば昨日から日本近代文学館で日本におけるチェーホフを主題にした展示では、最初の講演会を開かせていただきましたが、たいへんな盛況でござました。そして近くはマールイ劇場がここで公演をやることはご存知のとおりでございます。日本ロシア文学会としてはサハリンに近い稚内で大会を開き、シンポジウムをおこないます。

 それからこれはちょっと例外的なことではありますが、チェーホフのフェスティヴァルに関しては世界でいろいろのおもしろい試みがあります。たとえば、アメリカではチェーホフの短編小説をもとにして、戯曲がつくられました。"The good doctor"、つまり、チェーホフの医者としての面を取り上げた、非常におもしろい演劇がおこなわれたそうです。

 日本でも「スバル」という劇団がブィシコフさんというメリホヴォの(チェーホフ博物館の)館長の台本をもとにして、『チェーホフ的気分』という劇を上演する予定になっております。これはチェーホフの恋人と申しますか、知り合った女の人たちとの文通をもとにして、女性にもてるチェーホフというイメージを浮かび上がらせようとするものです。これは言ってみれば、聖人君主的扱いされていたモーツァルトをアマデウスというイメージでもって徹底的に変えたというのとちょっと似たものだと思います。チェーホフの新しい見方がでてくる、そういった試みはチェーホフ好きの日本人のさまざまな新しい試みとしておこなわれています。

 今日はチュダコフ先生を初めとしてたくさんの討論者の方が、チェーホフの多面的な面をよく検討してくださると思います。今朝読みましたインターネットの記事によりますと、チェーホフというのは、イッシューズ(issues)ではなくリアリティそのものを使った、つまり芸術に対する枠組みとかイデオロギーとかではなくて現実そのものを扱ったということです。現実というのは非常に多義的で不条理なものでありますが、そういう不条理性、多義性というものをチェーホフがいかに扱ったかということで、まさに表題にありますように、現代の21世紀のチェーホフというものと我々は向き合っているのであります。今日はその点での論議をたいへん期待している次第であります。ご静聴、どうぞよろしくお願いいたします。



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