スターラヤ・ルッサでの
国際ドストエフスキー学会を見学して

木寺律子(大阪外国語大学大学院)

 2006年の5月21日から25日にかけて、ロシア、スターラヤ・ルッサで開催される国際ドストエフスキー学会を見学した。今までもロシアでの学会を少し覗きに行った経験はあったが、意識的に国際学会に参加するのは、私にとってはこれが初めてのことであった。 スターラヤ・ルッサは、ノブゴロド州にある小さな町で、古くから保養地として知られている。モスクワからは夜行列車で行くことができる。近年モスクワは変化が著しく、新しい店もレストランも高層住宅も増え、日本や他の国の町とあまり違いがなくなってきているのが、スターラヤ・ルッサは、昔ながらのロシアらしさが残る町である。

 作家ドストエフスキーは、晩年をこの町で過ごした。『カラマーゾフの兄弟』の舞台となる町スコトプリゴネフスクは、実は、スターラヤ・ルッサをモデルとしていることが知られている。小説に描かれるグルーシェンカの家、イヴァンとアリョーシャが会話したレストラン、リザヴェータ・スメルジャーシチャヤが出産した風呂場などすべて、このスターラヤ・ルッサの町のどの辺りをモデルとしているのかが明確に分かっている。この町を散歩すると、『カラマーゾフの兄弟』の小説の中に入り込んだかのような錯覚にとらわれる。川沿いの通りにあるドストエフスキーが住んだ家は博物館として保存され、毎年11月には、この町でドストエフスキーをテーマにした演劇祭も行われている。小さな町であるが、まさにドストエフスキー一色の町といった感がある。

 日本からの参加者は、ノブゴロドで研究をされている同志社大学の松本健一先生、東京大学大学院生でモスクワ留学中の尾松亮さんがいらっしゃり、松本先生はラスコーリニコフの殺人へ至る2つの考え――ナポレオンになることと人助けをすること――の絡み合いについて、尾松さんは『未成年』における父親の探求について口頭報告をされた。小説の内容に深く入り込むタイプの口頭報告は、ロシア人研究者の方々からも興味深いものと受け止められていた。これらの口頭報告の後、私は知り合ったロシア人の若手研究者から日本におけるドストエフスキー研究の伝統はどのようなものなのかといった質問を受けたほどであった。

 ロシア人研究者による口頭報告は、最近の研究の動向を反映して、キリスト教、ロシア正教との関係でドストエフスキーの作品を見直すというものが非常に多かった。キリスト教との関係でのアプローチの緻密さは見事なものだが、中には、日本人参加者の私としては納得しかねるような、ロシア正教への信仰とナショナリズムが入り混じったような主旨の発言もないわけではない。その一方で、キリスト教との関係でドストエフスキーを解釈することをテーマにした円卓会議が設けられ、ロシア正教との関係によってドストエフスキーを解釈すべきか、キリスト教との関係を重要なものとしながらもより自由な解釈を受け入れるべきかといった事柄について、率直な討論がなされる一場面もあった。

 私は、ノブゴロドのドゥートキン先生の『ファウスト』と『悪霊』を初めとするドストエフスキーの諸作品を比較する口頭報告に大変興味を持った。口頭報告後に質問させていただいたところ、ドゥートキン先生は、ドイツ文化であれロシア文化であれ、自国の文化を重んじなくてはならないという考えによってこの報告をなさったとのことであり、外国人としてこの学会に参加した私にも印象深いことであった。

 学会開催の直前にはトゥニマーノフ先生がご逝去された。論文やご著書を通じてのみトゥニマーノフ先生を存じ上げていた私にもこれは衝撃的なことであった。開会式の際には、参加者皆でトゥニマーノフ先生に黙祷を捧げ、その後も折に触れて参加者たちはトゥニマーノフ先生に言及されていた。

 私がこの学会へ参加するにあたって、丁寧なご連絡とお気遣いを下さった木下豊房先生、前もってモスクワからの夜行列車の切符を私の分も買ってくださった尾松亮さん、親切にしてくださった松本健一先生にこの場を借りて、深く御礼申し上げたい。



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