ベオグラードのハルムス生誕100年記念国際学会
「ダ二イル・ハルムス−活動と消滅のアヴァンギャルド−」

村田 真一(上智大学)


 2005年12月14日より18日まで、ベオグラード大学で、国際学会「ダニイル・ハルムス−活動と消滅のアヴァンギャルド−」が開かれた。これは、ベオグラード大学文学部が主催した学会であり、私も組織委員として出席を請われ、研究報告を行なった。

 ハルムス生誕100年を記念した大規模な学会は、6月にサンクトぺテルブルクでも開催されている。ベオグラードにはロシアで報告したメンバーも参集し、そのときの主催者A.コブリンスキー氏が論集のプレゼンテーション役を務めた。

 40人ほどの発表者のなかには、M.メイラフ(ストラスブール)、M.ワイスコフ、E.トルスタヤ(いずれもエルサレム)の各氏や主催者代表のM.ヨヴァノヴィチ氏やK.イチン氏(いずれもベオグラード)など、20世紀ロシア文学研究の碩学の姿があった。予想どおり、ハルムス研究のさまざまなアプローチが提示されたが、これは、不条理という表現では括りきれないハルムスの重層的な作品世界が日ましにその芸術的価値を高めつつあり、それ自体がドラマともいえるハルムスのベールに包まれた生涯と創作活動を解明する作業が着実に進んできたことを証明している。

 マヤコフスキーの詩の宗教性に関する卓越した論考で知られるワイスコフ氏がザボロツキーとプラトーノフの作品からハルムスの詩のメタファーを分析すると、トルスタヤ氏はアヴァンギャルドの変容の本質に鋭く迫り、ハルムス研究の泰斗メイラフ氏がこの作家の研究史と課題を総括するといった具合である。このほか、ハルムスの短編のもつドキュメンタリー性を指摘し、政治的・法律的視点を打ち出した、M.オデスキー、M.スピヴァーク両氏(いずれもモスクワ)による研究も斬新である。私は、ハルムスの『エリザヴェータ・バム』とスホヴォー=コブイリンの『タレールキンの死』を比較し、両者のシュルレアリスム的劇作法の共通性と差異を明らかにする試みを行なった。

 とくに強い感銘を与えたのは、理論的研究に反旗を翻すかのように、実証的かつインターテクスチュアルな労作を精力的に発表し続けるヨヴァノヴィチ氏とイチン氏の報告である。この共同研究は、ハルムスの「祈り」の詩に見られる預言性に着目し、それをレールモントフの伝統の発展的継承と捉えたものであり、ヴヴェ ジェンスキーのエレジー分析でもその冴えを見せたイチン氏の切れ味が光るみごとな内容だった。

 ほかにも、コブリンスキー、D.トカレフ(いずれもサンクトぺテルブルク)、O.レクマーノフ(モスクワ)氏など、ハルムス作品とロシアの文化や思想の関わりに焦点をあてた優れた発表が目白押しだった。ここですべてを紹介する余裕はないため、詳しくは、まもなく出版予定の論集を参照されたい。

 本学会が、アヴァンギャルドの終息期に誕生し、自らの短い煌きとともにロシア・モダニズムを葬送したオベリウの中心的人物がハルムスだったことを再確認するにとどまらず、今後、ハルムスのテクストをより多面的に研究し、他の作家や詩人との関わりをより深く解明する道筋を与え、そのために不可欠な方法論を提示したことは特筆に価する。

 一方、学会会場では、貴重な資料を抱え込んで公開したがらない研究者がいることに対し、批判の声がきかれた。国際学会の本来の目的と意義は、情報を各国の研究者が共有し、よりハイレベルの研究をめざすことにある。綿密な研究と精度の高い論文を発表する必要性が叫ばれ、研究対象となる作家・芸術家がふえるなか、考えさせられる問題である。

 国際学会では、巡りあわせもたいせつである。アムステルダムのD.ヨッフェ氏による報告は、私がここしばらく取り組んできたエヴレイノフの演劇論を視野に収めた内容であり、自然と意気投合したものだし、各国の研究者との深夜まで続く語らいも長旅の疲れを忘れさせてくれた。また、報告に熱心に耳を傾けてくださった、ベオグラード大学文学部で日本語・日本文化を教授されている山崎佳代子氏には感謝の意を表したい。

 街の散策もそうした出会いのひとつだろう。ロシア革命以降の一時期、ベオグラードにはロシア人が大勢暮らしており、街はロシア文学をヨーロッパに紹介する拠点となり、発信力のある出版社もあった。40年代に入ると、裕福なロシア系住民は直ちに西欧へ移住したが、残った人たちは、旅費を払わされ、シベリアへ送られたまま、だれひとり戻らなかったという。現在、ロシア会館こそ残っているが、市民のロシアに対する関心はあまり高くなく、ロシア語を話せる人も激減したときく。

 また、大学から徒歩で5分とかからない場所にある学会発表者用の宿舎となったホテルは、かつてメレシコフスキーとギッピウスが泊まり、ロシアへ二度と戻らない決意をした場所だったことなども印象深い。

 折りしも、中部ヨーロッパ全域が悪天候に見舞われ、ベオグラード到着便が大幅に遅れたため、発表予定者が出席できなかったり、発表順が変わるなどのアクシデントはあった。にもかかわらず、研究報告はもとより、学生によるハルムス劇上演やロシアに縁の深い建物や裏通りの見学、セルビア人監督によるハルムスに関する映画の鑑賞とそのあとの討論などを含め、ひじょうに充実したプログラムだった。

 ベオグラード大学は、2005年にもヴヴェジェンスキーに関する国際学会を組織している。このような実績は、ベオグラードにおけるロシア文学研究レベルの高さを示すだけでなく、これまで以上に密接な研究交流を推進する必要性を世界に広く伝えたいとの主催者の熱意と行動力の率直なあらわれといえよう。

 現在、イチン氏やワイスコフ氏らとは、次の国際学会のテーマに関し、意見交換を始めている。



国際交流委員会のトップページに戻る

このページの先頭へ戻る