国際アンドレイ・ベールイ学会レポート

鴻野わか菜(千葉大学)


クチノのベールイ博物館
クチノのベールイ博物館



 2006年10月26日から11月1日まで,モスクワで,アンドレイ・ベールイ生誕125周年国際学会「変貌する世界におけるアンドレイ・ベールイ(К 125-летию со дня рождения Андрея Белого. Андрей Белый в изменяющемся мире. Международная научная конференция)」が開催された。ロシア,ウクライナ,ポーランド,アルメニア,エストニア,ハンガリー,日本,アメリカ,イタリア,フィンランド,イギリス,フランス,スイス,スウェーデン,オランダ等,各国のベールイ研究者,象徴主義・ロシア文学研究者が集まり,約60の報告と,ラウンドテーブル,研究書のプレゼンテーション,ベールイにちなんだ場所をめぐるエクスカーションが行われた。主な学会会場となったのはプーシキン博物館とベールイの家博物館である。アルバート街のベールイの生家は,現在「ベールイの家博物館」として整備され,ベールイの絵画,書籍,遺品等が展示されている。今回の国際学会を中心的に組織したのは,同博物館の研究員でベールイ研究者のモニカ・スピヴァク氏である。

 学会は,新暦でのベールイの誕生日10月26日に始まった。初日の報告の後,ベールイ博物館でささやかなパーティーがあり,イギリスのジョン・エルズワース氏(John Elsworth,元マンチェスター大学),ロシア文学アカデミーのアレクサンドル・ラヴロフ氏(Александр Лавров),レーナ・シラルド氏(lena Szilard,元プダペスト大学,現在はイタリア),トーマス・バイヤー氏(Thomas R. Beyer, Jr.,ミドルベリー大学),マグナス・ユングレン氏(Magnus Yunggren,スウェーデン),ジョルジュ・ニヴァ氏(Georges Nivat,元国際ロモノーソフ大学)など,象徴主義文学の研究が認められていなかったソ連時代を(内側にいたか外側にいたかは別として)体験した人々によると,ロシアで国際ベールイ学会が開催される日が来るなど夢にも思わなかったという。最初の国際ベールイ学会は1970年代にアメリカで開かれ,80年代にイタリアで行われたとのことだが,今回の生誕125周年の学会はロシアで開かれる初の国際ベールイ学会になった。今回のベールイ学会は1週間も続いたわけだが,参加者が積年の思いを語るには,それでも足りないようだった。

 報告の内容は,ベールイの作品論,ベールイと絵画,ベールイとカバラ,ベールイをロシアの思想との関連で論じたもの,同時代人とベールイの交流など多岐にわたった。同じ時間帯に並行して行われたセッションもあり,すべての報告を聞くことはできなかったが,まずはいくつかの発表の内容を紹介したい。

 個人的には,この2,3年,ベールイの作品の中でも晩年の3部作『モスクワ』,および『モスクワ』と『ペテルブルク』の比較に関心を持っていることから,両作品を論じた報告を興味深く聞いた。オリガ・クーク(Olga Kuk,アメリカ)は,「ロシア文学における『少女ネリー』:アンドレイ・ベールイの『モスクワ』とアンドレイ・プラトーノフの『土台穴』におけるディケンズ」と題する報告において,ベールイとプラトーノフの作品は,ディケンズの『少女ネリー』から,天使のような「孤児」の少女が,周囲に監視され続けた上に,(実際に,あるいは比喩的に)強姦されるというテーマを引用していると論じた。ディケンズの少女ネリと,ベールイの『モスクワ』のリザーシャ,プラトーノフの『土台穴』のナースチャを比較し,『モスクワ』においては,実父に強姦されるリザーシャのみならず,すべての子供が死ぬ(ナージャ)か破滅する(ミーチャ)という特徴を論じた。

 ジョン・エルズワース氏は,「アンドレイ・ベールイの『ペテルブルク』と『元老院議員の破滅』:ツカートフ家の舞踏会」と題する報告で,『ペテルブルク』とその戯曲化である『元老院議員の破滅』の時空間を比較した。特に,両作品では,ニコライ・アブレウーホフが赤の道化としての正体を現し,父子の破滅を決定的にするツカートフ家の舞踏会の場面の空間描写(部屋の連なり)に決定的な違いがある他,仮面の持つ象徴性に違いが生じていることを論じた。

 その他,作品論としては,レア・ピルド氏(Lea Pild,タルトゥー大学)が,「アンドレイ・ベールイの詩集『灰』における死の舞踏のイメージの文学的源泉」という報告で,スルチェフスキーやアポローン・グリゴーリエフの詩と『灰』を比較し,『ペテルブルク』におけるツカートフ家の舞踏会の場面にも,死の舞踏のイメージが表れていることを詳細に論じた。従来,ベールイの作品における死の舞踏のイメージの源泉は,ポーの作品や中世の絵画に求められがちであったが,ピルドは新しい視点を提供した。

 ヂーナ・マゴメドワ氏(Дина Магомедова,ロシア人文大学)は,ベールイの『モスクワ』とゴーゴリの『恐ろしい復讐』の間には,父親的な男と娘の(疑似)近親相姦,アンチキリストなどのテーマが共通する他,使われている単語にも類似が見られることを示し,ゴーゴリのベールイへの影響の一端を明らかにした。マゴメドワ氏は,コンテクスト研究を重視する研究者であり,今回の発表でも氏の本領が発揮されていた。

 レーナ・シラルド氏は,「アンドレイ・ベールイにおける上昇の象徴」と題する報告で,ベールイの作品では,精神的成長(上昇)は,同時に自己への沈潜(下降)とも結びついていることを論じ,アルゴナウタイ同盟を描いた初期詩や『ペテルブルク』にそうした思考が見て取れることを示した。またアレクサンドル・ラヴロフ氏は,アルヒーフの資料に基づき,ベールイのポエマ『太陽の子ら』における混沌,宇宙観について論を展開した。


学会会場でのアレクンサンドル・ラヴロフ氏
学会会場でのアレクンサンドル・ラヴロフ氏


 アクメイズムについての著作で知られるオレク・レクマーノフ氏(Олег Лекманов,世界文学研究所)は,ベールイの初期詩を例に,モダニズムの文学作品と当時の大衆詩の間に関連性があることを説得力をもって示した。ベールイや象徴主義文学をあくまでもソ連的なものと対極に置くことに固執する一部の研究者からは,報告に対する批判的な質問が投げかけられた。同様の反応は,ナターリヤ・プリモチキナによるベールイとマクシム・ゴーリキーの交流についての報告の後にも起こり,「ソ連文化」と象徴主義の関係を認めることに対する拒否反応が残っていることを実感した。

 他にも,タチヤナ・ニコレスク(Tatiana Nicolescu)氏は,「アンドレイ・ベールイと表現主義」という報告で,ベールイの作品と絵画の相関関係を示し,アンドレイ・ボイチュークは,ベールイの『交響曲第4番』とギッピウスの作品の関係を,<エロス><キリスト>というテーマを軸に論じてみせた。また,並行して行われる別のセクションにいたため聞くことができなかったが,オレク・クリンク(Олег Клинк)氏の「アンドレイ・ベールイの『ペテルブルク』の失われた版の再構築の試み」,ハルシャ・ラム(Harsha Ram)氏の「ベールイとグルジア:アンドレイ・ベールイのグルジア・モダニズムへの影響」も興味深い報告だったと聞いている。

 近年,ベールイの晩年の作品と生涯についての研究を続けるモニカ・スピヴァク(Моника Спивак)氏が,「詩人=預言者としてのアンドレイ・ベールイ神話の誕生」と題して行った報告は,ベールイの死にまつわる伝説を幅広く論じたもので,画期的だった。アルヒーフに基づいて作家のバイオグラフィー的な状況を明らかにしていくのがスピヴァク氏の従来の研究手法だが,今回の報告もその延長線上にあり,ベールイの死後の言説の扱い方が鮮やかだった。

 その報告が終わった後,会場で一人の白髪の女性が立ち上がり,1933年,ベールイの死の前年に,コクテベリでベールイに会い,作家が籐椅子に腰掛けているのを見たというエピソードを話し出した。ロシアの哲学者シュペートの娘だった。彼女がベールイや昔について話した時には往事の作家達がよみがえる気がした。

 国際ベールイ学会の常連に混じって,数名の若手研究者の報告もあり,ジョナサン・ストーン(Jonathan Stone,カリフォルニア大学院)は,第1詩集『瑠璃の中の黄金』における色彩の象徴性について報告し,ベールイの『グロッソラリヤ』のイタリア語訳を終えたばかりのジュゼッピーナ・ジュリアーノ(Giuseppina Juliano,イタリア)は,『グロッソラリヤ』の言語について短い報告を行った。ニーナ・ペトロフスカヤを専門とする若手研究者ビアンカ・サルパッソ(Bianca Sulpasso)は,ベールイとペトロフスカヤ,ブリューソフの三角関係について,アルヒーフで得た資料をもとに興味深い報告を行った。

 日本からは,筆者の他,熊本学園大学の太田丈太郎氏が学会に参加し,サンクト・ペテルブルクのロシア国民図書館手稿部(РНБ)で調査したベールイの水彩画についての報告を行った。モスクワの国立文学博物館にもベールイの描いた絵画類が保管され、その一部はすでに公表されたが、РНБのものは今まで調査・研究の対象となってこなかった。太田氏の発表は,РНБにあるベールイの絵画類の中でも山を描いた作品について記述し,そこからベールイの生創造の本質に関わる観点を導き出すものだった。絵を描くこと,言葉の創造,世界認識が,ベールイにおいて深く結びつき,その絵画作品にはベールイの自己探求のプロセスが明確に表れていることを示した。


報告中の太田丈太郎氏
報告中の太田丈太郎氏


 鴻野の報告のテーマは「ベールイの『モスクワ』三部作における「眼」」で,『モスクワ』は,主人公イワン・カロープキンの精神的変容を描いた神秘劇としての側面を持っており,その神秘劇はカロープキンの眼のテーマと密接に関わっていることを示した。カロープキンの科学者としての出発点となる幼年時代の挿話,成人してからの秘儀的な夢,マンドロによる拷問による眼の喪失という3つの主要な挿話には,「見ること」というテーマが共通して現れていることを論じ,眼の喪失がカロープキンの精神的変容の端緒となったことを論じた。

 今回の学会では,ベールイの墓地訪問,ベールイの彫像を製作したゴルブキナの美術館訪問,現在は銀行になり一般公開はされていない旧モロゾフ邸見学など,いくつもの催しがあった。特筆すべきは,ベールイがドルナッハ(スイス)でシュタイナーの人智学グループと生活を共にしていた時期に描いた水彩画の展覧会が,学会に合わせてベールイの家博物館で始まり,ベールイが人智学に影響を受けて描いた貴重な絵画が展示されたことである。


ベールイの墓前にて
ベールイの墓前にて。左からモニカ・スピヴァク,レーナ・シラルド


 また, ベールイが晩年の数年間を過ごしたモスクワ郊外のクチノ村へのエクスカーションがあり,クチノ郷土博物館,ジェレズノダロージュヌイのアンドレイ・ベールイ記念図書館でベールイ関連の展示を見た後,ベールイが過ごした家の博物館の開館式に立ち会った。かねて「クチノに来なければ『モスクワ』は書けなかった」と述べるほどベールイが愛したこのクチノの家は見ておきたいと思っていたが,その小屋が鉄道の線路のすぐそばに立っていたのが印象深かった。詩集『灰』や『モスクワ』などで,ベールイはロシアの重い運命と鉄道を重ねあわせ,くりかえし線路,鉄道のイメージを作品で追い求めたが,晩年を過ごした書斎の窓から走り去る列車が見え,汽笛の音が聞こえるのも,作家の運命のように思える。

 ロシア文学会会員への具体的なインフォメーションは次の2点である。学会会場となったプーシキン博物館内(Москва, Пречистенка, 12/2, Государственный музей А.С. Пушкина)のローザノフ図書館,稀書図書館には1900−20年代の稀書が揃っており,事前に連絡を取り,研究機関からの書簡を持参すれば,原則的にその図書館で図書の閲覧ができる。ベールイの家博物館(Москва, Арбат 53-55, Мемориальная квартира Андрея Белого)では,より自由に図書館で作業することができる。

 また,ベールイの家博物館は,近日中にインターネット上にサイトを立ち上げる予定で,ベールイ関係の資料や,各国のベールイ研究のリストを募集している。日本からも,ベールイ研究,翻訳のリスト,論文の場合はできれば電子化された情報(内容)も送付してもらえれば,サイトに掲載するとのことである。今回の学会の報告集は,2006―2008年頃に出版される予定である。ベールイに関心がある方は,2005年10月刊行のRussian Literatureがベールイ特集なので,あわせて御覧頂ければと思う。



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