AAASS National Convention 2005 に参加して

河尾基(東京大学大学院博士課程)

 今年はユタ州のソルトレイクシティで11月3-6日に開催された、アメリカのスラヴ研究者団体AAASS (American Association for the Advancement of Slavic Studies; http://www.fas.harvard.edu/~aaass/) の第37回全国大会に参加する機会を得た。

 たいへん規模の大きな学会で、会場で配布された全108ページのプログラムには263ものパネルが載っている(プレ・プログラムはhttp://www.fas.harvard.edu/~aaass/2005program.pdf (PDFファイル)で公開されている)。ただし、そのうちの1/3くらいはキャンセルや変更があったような印象を受けた。準備はほぼ1年前から始まっていたようで、アメリカ人スラヴ研究者のメーリングリスト「SEELANGS」などを通じて盛んにパネルの企画や報告者の募集が行われていた。私も12月に声をかけられ、1月に参加の旨をパネルのオーガナイザーに伝え、4月ごろにパネルが正式に認められ、8月に大会運営部へ登録書類をファックスで送り、参加費30ドルをクレジットカードで支払い、当日に臨んだ(私は外国からのゲストだからか、特に他の費用も手続きもなかった)。オーガナイザーと電子メールで数回やり取りをしただけで、ホテルの滞在先も彼の親切に甘えて任せてしまったので、手続きはきわめてあっさりとしたものだった。

 2つの広大で入り組んだホテルが会場とされ、エルミタージュ美術館のような豪華な調度のなか(そこには第二次世界大戦時にドイツから持ってきたものもあるらしい)、私だけでなく多くのアメリカ人やロシア人の研究者達がうろうろとしていた。パネルは8:00−10:00、10:15−12:15、14:15−16:15、16:30−18:30のセクションに分けられており(日のよって多少の違いあり)、各パネルは基本的に1人の司会と3人の報告者と1人の対論者からなるか、あるいは報告の代わりに円卓会議が持たれた。

 私が見ることができたのはほんの一部に過ぎないが、少なからぬロシア人がいたのにもかかわらず、報告はほとんどすべて英語で行われていたようで、私のように英語が苦手でロシア語で発表する人はいないだろうかという期待は打ち砕かれたしまった。参加者は中堅以上の年齢層が多く、20代はあまりいないようだった。同時に開催されるパネルの数が多いので聴講者のばらつきは当然あったのだが、印象的だったのは、ロシアのテレビ放送についてのパネルが50人以上の盛況で立ち見が出るほどだったのに比べて、同時刻に行われていたマンデリシタームについてのパネルは、聴衆は私を含めて3人ほどしかいなかったことだ。続いて行われた「帝政時代後期からソヴィエト時代初期における科学と文学」というパネルもやはり3人ほどしかいなかった。ちなみに朝8時から行われた、私の参加したパネル「ロシアにおけるコミックス」の聴衆も3人ほどだったが、オーガナイザーのホセ・アラニス氏(ワシントン大学)の言う通り、「その代わり粒ぞろい」だったとしておきたい。

 パネルでは、残念ながら3人目の報告者がキャンセルしたため、私ともう一人の報告者であるイリーナ・マコヴェーエワ氏(ピッツバーグ大学)に多めに時間が与えられることになった。彼女の報告は「Pulping Pushikin in the New Russia」と題され、ロシアのコミックス作家カーチャ・メチェーリッツァの『スペードの女王』と『アンナ・カレーニナ』をその原作も含めて比較分析するものだった。彼女の主要な関心はコミックスにおける文学の「アダプテイション」であり、今回の報告でもこの古典に現代ロシアの風俗を取り込んだ両作品を、文学研究者の立場から論じていた。余談だが、パネル終了後に、日本にも『罪と罰』を原作とするマンガがいくつかあり、しかもそのうちの一つが「やおい」と呼ばれる女性読者向けの男性同性愛のジャンルと多少のつながりを持っていると彼女に伝えたところ、大いに関心を持ったようだった。

 私の報告は「ロシアにおけるマンガ」と題し、ロシアにおける日本のマンガの読まれ方を、主にインターネット上のファンダムを中心に社会学的に(専門外でしたが)考察したものである。ロシアではここ数年の間に日本のアニメとマンガがじわじわと受け入れられていっているのにもかかわらず、アメリカでもロシアでも日本語の文献に当たっている研究者はほとんどおらず、そもそもコミックス研究者自体あまりいないため、今回の私のやや無謀な試みも幸い歓迎されたようである。

 パネル終了後もアラニス氏にはいろいろとお世話になり、それぞれお土産を交換したりした。頂いた物のなかに、毎年ロシアで行われるフェスティバル「コミッシヤ」にあわせて刊行されたアンソロジーがあるが、これは「ファンジンシ」と自称している。「ファンジン」と「同人誌」の合成語である。コミックスにおいてもやはりロシアはヨーロッパとアジアの間を目指すのだろうか。

 話は逸れるが、ホテルの予約に関してやっかいなトラブルがあった。恥ずかしながら英語のできない私は、学会受付のロシア語のできる女の子2人(しかも1人は日本語も話せた)にたいへんお世話になり、おしゃべりの相手もしてもらった。面倒見のよさではロシア人が有名かもしれないが、この点に関しては、私の中でロシア人とアメリカ人の差がなくなってしまった。

 最後になるが、ミハイル・レオーノヴィチ・ガスパーロフが亡くなった日に、私は雲の上で『Занимательная Греция』を読んでいた。皮肉かどうか知らないが、彼の死去を知ったのは日本に帰ってきてインターネットを見てからのことだった。これほどの大学者ともなると会いに行くにも勇気がいるが、その著書に感銘を受け、一度はぜひ直に話を聞けたらと思っていた人だけに、なんとも悲しい思いに襲われた。

 年に一度の学会と毎日のネット上のコミュニティという研究者の交流の二つの場を目の当たりにして、どちらの大切さも思い知らされた体験だった。



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